コロナ検査の右往左往

手元にコロナの抗原検査キットが3つある。
アメリカの入国に求められるコロナの陰性証明書のため購入したものなのだが、キットはアメリカから日本、そしてメキシコへ使われないまま運ばれることになった。
コロナにまつわるドタバタも含めて、経緯を書き残しておこうかと思う。


10月に日本へ行ってきた。元々5月のチケットだったが、関空着のアメリカ便は土曜日のみの運行になっており、出発日のフライトがキャンセルに。仕方がないので半年ほど予定を延期し、10月の土曜日の便を取り直した。国際線の運航スケジュールは8月になってもサイトに記載されずはらはらしたが、最終的にJALのサイトで運航が決まった情報を見てホッとする。

東京で国内線に乗り継ぐチケットはなぜかたくさん売っているのだが、日本上陸後は公共交通機関が利用できないので、国内線の乗り継ぎはできない。この人のように、空港からレンタサイクルで帰るというのは中々冴えたアイデアだなと思うが、家族がいるとそういうわけにもいかない。東京着でレンタカーまたは実家の車で大阪まで向かうことも考えたが、大阪に実家がある場合は、関空便がやはり現実的な答えになる。

 

3か国に入国。必要な検査は

予定が確定したら、求められるコロナ検査の手はずを確認する。
トランジットのアメリカを含め、入国はアメリカ、日本、メキシコとなる。

アメリは11月からワクチン接種済でないと入国できなくなったが、10月はまだ陰性証明書のみで入国ができた。アメリカは何でもかんでもPCRという感じではなく、簡易抗原検査でもOKのようだ。3日前の数え方の方法や、証明書の有効性は航空会社のカウンターチェックにして、そのスタッフがわかる言語で書かれていればOKという運用ルールなど、全体としては合理性がある感じを受ける。

日本は出発72時間以内の検査で、「原則的」に日本政府指定の書式で記載された陰性証明書が必要だ。簡易抗原検査(Rapid antigen test)は認められない。さらに、空港でも改めて検査がある。
10月からワクチン接種証明の提示で待機期間が10日に短縮となり、ニュースでも期間短縮と書かれていたが、そもそもメキシコは接種証明が有効な国リストに入っておらず、使えない。私はアストラゼネカを2回接種して14日以上経過しているのだが、意味がないのは悲しい。どうも外交の相互承認のような形で、相手国が入国時にその国の証明書を認めているかが基準のようだ。

メキシコの入国は全く通常通りで、陰性証明もいらないし、ワクチンを接種しているかどうかも関係ない。一応Webサイトで簡単な質問に答えてQRコードを発行してもらう必要があることになっているが、入国時にこれを確認されることもなかった。
ヨーロッパと異なり街中でのマスクの着用率は高いが、国境の出入りに目くじらを立てても仕方がないというのは全体的なコンセンサスのようで、感染者数も減るときは減るし、増えるときは増えるといった感じだ。経済的な打撃は大きかった分、自粛警察みたいな圧があまりないので、これはこれで一つの解なんだろうなという気がする。


ということで、日本とアメリカの入国は同じ検査で済ませ、帰りのアメリカ入国に必要な検査をもう一度、あとは日本の空港で入国時に検査があるので、1か月に計3回の検査をすることになる。

 

メキシコでのアメリカ・日本向け検査

メキシコの社会インフラはアメリカの影響が強いので、コロナの検査も主力は病院ではなく、ラボと呼ばれる検査専門の業者が多い。薬局やウォルマートなどのスーパーでも簡易抗原検査はやっていて、2-3000円も出せば、簡単な英語も併記された陰性証明書はもらえそうだ。

日本入国時は、実はPCR検査だけでなく抗原検査もOKなのだが、定量抗原検査が必要とのことで、一般的な検査はほぼ全て定性抗原検査になり、要件を満たさない。

 

日本入国時に必要とされる検査は、シンガポールや中国のように病院が国から指定されているところまではいかないが、それぞれの国にある日本大使館は、検査及び書式に記入してくれる病院・ラボのリストを作っているようなので、それに当たるのがまず早道のようだ。

シェアサイクルの人はオーストリアで大使館リストから比較的安めの検査を見つけているが、メキシコの日本大使館のリストはあっさりした感じになっている。記載のリストの、メキシコシティおよびメキシコ州にある病院の中で唯一、定量抗原検査をやっていると書かれている病院のHospital Vivo Aztecaに行って確認したが、うちは定性検査だよと言われ、最安のオプションはあっという間に消えた。

ここは日本でないので、時間が限られているとき、何かのリストに頼って事前に確認しないと大変なことになる。頼みの綱の日本大使館ですら、病院の所在地の州を間違えて記載している。まあ会社の経費が使える駐在員とその家族向けに、高額で確実なところからリスト化したという感じなのだろう。

 

いくつかネットで検索して、定量抗原検査は諦めた。PCR検査に絞るとSalud Dignaが安いのだが、結果判明までにかなり時間がかかるようなのでパスして、Rapid PCRが1,249ペソ(6,900円)だったので、ここに当たることにした。電話番号の記載もなく、Whatsappで聞けということで、日本のフォーマットを送ったりして確認したが、特に問題なさそうな口ぶりだった。結果判明は大体24時間くらい、とのこと。

一応他のオプションとして、ラボの看板で検査をしているところにも聞いてみたが、日本のフォーマットに記載するのは問題ないよ、という返事。メキシコは紙に署名する程度のことは敷居が低いらしい。日本のように、常に証明書発行代を別に取るということはないようだ。

 

ところで、日本の条件で面白いのは、医者が該当のフォーマットにサインすればよいとなっている点で、サンフランシスコ領事館のサイトに記載があるのだが、検査と証明書の発行機関が同じである必要性がない。

これだと、例えば自治体がやっているような無料PCRテストを受けた後、その結果用紙を見て、国内の医者が書式に記載することで、証明書ができることになる。

妻の親戚に何人か医者がいるので、この方法を試そうかと思ったが、まあさすがにそれは最終手段にしておくことにした。

 

なお今回の旅程では、日本向けの証明書はアメリカの要件も満たさなくてはならないのだが、アメリカの要件は常識的な範囲内という感じで、ちょっと面倒だなと思うのは、証明書に複数の人定情報を記載すること、という点くらいだ。名前の他にもう一つ、生年月日かパスポート番号があれば認めるよ、とのこと。言語は何語でもよく、航空会社のスタッフが読めればよい。日本だと日本語、メキシコならスペイン語だけでもOKとなるだろう。

あとは検査日とテストの種類、陽性か陰性か、検査機関名というくらいなので、これは普通どこの場所でも書いてくれるだろう。実は日本の医療機関以外の格安検査の結果報告書でも概ねこの条件を満たすのだが、複数の人定情報だけが足りないケースが多い。この点は、木下とか、なんとかPCRセンターは少し頑張って改善してほしい。

 

検査自体はあっさりしたもので、メキシコシティ近郊の山道の途中にある、ドライブスルー方式の検査場へ車で行って、それぞれ鼻の奥の粘液と唾液を採取して終わり。3人で30分もかからない程度だ。日本のフォーマットに名前やパスポート番号を記載したものをデータで送っておいたので、結果はPDFでラボのフォーマットのものと、日本のフォーマットがPDFで送られてきた。朝9時ごろに会場へ行き、翌日の朝3時ごろにメールが来ていた。

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送られてきた日本フォーマットの署名部分。スタンプ押してくれと言ったのに・・

 

American航空やJALアメリカに入国する場合は、VeriFLYというアプリで事前に陰性証明書をアップロードしておき、承認された画面をチェックインカウンターで提示すれば、話が早くなる。深夜の5時にアップロードしたら、1時間もたたずに承認されていた。

 

日本入国時の検査

そして、日本入国時の空港での検査。運転免許証の更新のような感じの流れ作業で、順番に指定された箇所に書類を持って移動していく。そのプロセスが必要なのかはさておいて、こういう工場の作業フローみたいなものを日本人に作らせると、妙に効率的な感じになる。事前のWebサイト入力QRコードを入手しておくと少し早い。

出発国によりホテル待機が必須かどうかなどの条件別に、色違いのストラップを渡されて区別されるようだ。テスト自体は、唾液を使った定量抗原検査と思われる。どうしてもPCR検査は増幅の作業が入って、結果判別に時間がかかるので避けているのだろう。

最初の書類確認で、メキシコの陰性証明書の病院印が適当な感じだったので少しひやひやしたが、チェックはどちらかというと名前の綴りやパスポート番号、生年月日の一致を厳しく見ている感じで、病院のサインに関しては特に言われることはなかった。

アプリの設定では、私が中国の人から英語で説明を受け、横のメキシコ人の妻は日本語で説明を受けるという謎の状況だったが、まあ無事にクリアし、大体着陸から2-3時間で解放される。長く歩かされた子供はすこし疲れた顔をしていた。

 

アメリカ入国向けの検査

最後は日本で受けるアメリカ入国向け検査だ。

日本では海外渡航向けのコロナ検査はPCRが主流で、抗原検査はあまり人気がないようだ。格安のPCRセンターもそこそこあるようだが、海外渡航の場合は別の高い提携病院を案内する始末で、どこも全体的に高い。また、検査代の他に書類の作成費用がかかるケースが多い。

いくつかの格安PCRセンターは、オンラインでの医者面談を取り入れているところもあるが、それでもPCRに加えて面談に書類発行となると、そんなに安いところは見つからない。東京だとここが陰性証明書の発行代を含めて1万円以下のようだが、2か月前から予約がいっぱいのようだ。

先に書いた通り、アメリカのヘルスケアシステムはこういう検査を病院だけでやるような発想はなく、別にラボでもWalmartでも何の問題もないし、そもそも政策立案者がそういうイメージで施策を決めている気がするので、検査と書類で3万円になるような状況はきっと想定していないのだろう。しかしこれが日本だと、自由診療で病院へ行けという扱いになって、利益の乗せられ方が医療と同様の扱いになってしまう。

書類も、厳密性が大好きな日本なので、メキシコのようにフォーマットにサインするくらいはやるよ、というラフな感じではなく、結構高額な書類作成代がかかる。格安のPCRセンターもいくつか見たが、要は医療行為ができないので、診断書ではなく結果報告書だと強弁するとか、しかもフォーマットは絶対変えられない、というようなところがほとんどで、まあ順法的にやろうとすると、みんな(じゃなくて経費で落とせない人、か)が不幸になるようだ。

病院の見つけ方だが、日本では「ビジネス渡航者向け」と銘打ったシステムがあり、国を選ぶと、条件を満たす検査をする病院をリストアップしてくれる。経産省がやっているらしく、省庁の縄張り争い感がすごいが、一般旅行者にも一応開放するよ、とのことなので、使ってみた。

アメリカは先に述べたように抗原検査でよく、原価的にも、検査の所要時間的にも、検査の性質的にも(疑陽性が多く出るPCRよりも、取りこぼす抗原検査の方が旅行者の目的には合うだろう)メリットが高い。

大阪周辺で探すと、鶴見にある医者が6,600円で抗原検査のメニューがあり、電話で聞くと、前日までに予約、英文の診断書は別途4,000円ということで、合計10,600円とのこと。その他はここで13,000円というところもあった。

 

アメリカ入国のみに使える格安オンラインキット

なお、アメリカに入国する場合は、少し裏技に近い感じだが、ここの記事にあるeMedのオンライン診療キットを使う方法がある。

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日本の医者の場合は3名分で計31,800円のところ、このキットであれば3名分が$99で買える。いつもの転送業者をかましても$160くらいとなり、まあ1万円ほど安くなるかなということで、アメリカで発注しておいた。尚、このキットは有効期限があって、手元に届くときに1か月とか2か月の猶予しかないケースもあるが、3か月の期限延長をFDAが認めているとのこと。

テスト時には英語でビデオ電話をしなくてはならないが、スペイン語にも対応しているようなので、妻と子供は問題なさそうだ。こういう時、アメリカの実質的な第二言語になるスペイン語は強い。

キットは週末をはさみ3日でオレゴンの倉庫に入り、DHLで日本に転送したのだが、航空便貨物が飽和しているようで、通常その日にトランジットになるシアトルで1日、LAでも1日余計にかかり、日本に入ってくるのが遅れた。嫌な予感は続き、抗原検査キットは医薬品扱いになるので、通関させることができないという電話がDHLからかかってきた。

通関はできまへんけども、まあ今回は特別に、荷物はアメリカに無料で送り返せるか確認しときますわ・・(関西弁)、というステータスで、通関前に保留となってしまったようなので、この時点でもう配達予定日が出発日を過ぎてしまい、キットを使うことができないことが判明してしまったので、医者の予約を取った。

結局キットは無駄になり、検査代含めて5万円の出費ということになってしまい、もうミャンマーで両替詐欺にあったのと同じようなショックを受けたが、飛行機に乗れなくなるのもこれまた大惨事なので、次善の策をとるしかない。

その後、薬事法関連を調べてみたところ、個人輸入で一定の範囲の量なら通関は通るようだ。管轄の近畿厚生局の薬事監視指導課へ電話して聞いてみたが、まあその量だったら通関に出して、問題があれば通関からうちに連絡が来るけど、特に「薬監証明・輸入確認証」は必要ないと思うよ、業者が通関を止めるのは変だねえ・・というような反応で、DHLはちょっと過剰反応のような気がする。

基本的に個人輸入はその本人が使うもの、という扱いらしいので、家族3名分を同一の宛名で送るのではなく、それぞれ別送してくださいと言われ、そういうものなのかとも思ったが、税関も今回の荷物を止めるというのはあまり現実的ではないようだった。

DHLのコールセンターに改めて電話して聞いた話を伝えると、最終的には通関してもらえることになったらしく、翌日にはトラッキングで通関許可が表示され、最終的に出発日の10時ごろに、ちょうど自分と行き違いになる感じで配達された。東京23区の感覚でDHLの自社配達に慣れていたが、大阪近郊は佐川に引き渡しのようで、これも1日余計にかかるのだった。

これが実家にあっても仕方ないので、家に置き忘れた人形と共にEMSで今度はメキシコあてに送ってもらう。そんなこんなで手元にテストキットが届いた。



なんだか無駄に長くなった。

単に行って帰ってくるだけでも、各国のシステムや医療事情などが垣間見ることができて興味深かったが、またやりたいかというとそれは別の話なので、早いところコロナは収まってほしいところだ。

大阪とか選挙とか

先月、諸々の手続きの関係もあって、家族で日本に戻っていた。今回戻らないと、翌週から手続きに10万円余計に取られるようになるとか、予約変更をしたら数万円かかるとか、実質的な金銭被害が明確に見えてきていて、まあ来るなと言われているのは分かっているが、仕方なく決行したという感じだ。

3週間弱のチケットを取っていたのだが、このご時世なので、コロナの隔離が主な活動ということになり、東京にはもう家がないので、必然的に実家の大阪へ行くことになる。

 

私が海外旅行に行くようになったのは、東京に住み始めてからという感じなので、飛行機の予約は東京発着で慣れていたのが、今回は大阪発着になった。まず驚くのがコロナの影響下にあるアメリカとの直行便の便数で、東京は5-6都市からほぼ毎日のフライトがあるのに比べて、大阪へは土曜日にロサンゼルス便が片道で飛んでいるだけという状況になる。

帰りは東京からダラス経由だったのに比べて、大阪便は確かに混んではいたが、それでも供給座席数で東京の40分の1とか、そんな感じのキャパシティになるということで、大阪というのはもうそういうくらいの都市力・経済力ということなんだなあと、複雑な感慨を受けることになる。

 

子供を連れて家の近くの公園に行ったりもしたのだが、どこも全体としては整って美しい公園で、水飲み場やトイレがあるのは本当に羨ましいのだが、いかんせん遊具が古いなあという印象で、メキシコの公園の方が適当でメンテナンスは雑だが、新しい遊具が入れられているような気がする。

以前日本で仕事をしていて、時々大阪の会社と話すようなこともあった。特に大きめの会社や組織では、大体東京と同じような権限とか仕事をしているのが、10歳くらい年上だなという感覚をよく持った。地方都市と言えばそうなのかもしれないが、30代、40代あたりは不満だろうなと思ったことを思い出す。



大阪の小選挙区が維新と公明だけという状況のニュースをみながら、背景としてはやはりこの経済の地盤沈下に輪をかけて、逃げ切れた層とそうではない層の分断の中で、「座して死を待つか、何かやってみるか」という究極的な二択を迫られたことが維新の背景にあることは、分かっている。

 

とはいえ、現時点で維新を当初のブームと同じ構図で話してもあまり意味がない。
もう維新が大阪の政権与党になって10年くらいは経っている。この間に、与党としての経験を重ね、大阪都構想などのイシューがあった中で政治家が鍛えられて、民主主義の学校を卒業した結果、今回かなりの勢力になったんだろう。

実家の選挙区は、コロナの最中に銀座で飲み歩いていた銀座三兄弟の一人の地盤で、まあ自民党というのはこの体たらくという象徴のような感じを受けた。彼がどうかは別として、全体的に自民は地盤を引き継いだような面々なのに比べ、維新はもう少し新しく政治に飛び込んできた人達に見える。


維新にも当然どうしようもないような不祥事をやるような人間もいるが、ブームで地方議員として入ってきて、10年くらい地道に選挙区で対話を重ねてきたような候補者が、維新の中でもある程度選抜されて、今回の衆議院議員候補になってきている印象もある。辻元清美の、維新はローカル政党だから眼中になかったという発言も、今となっては、ローカルだから強いんだという意味になってしまう。

ざっと見ても維新の候補者は次点の候補者を大きく引き離すような勝ち方をしており、選挙カーや事務所などを見ても、自民党やら立憲民主党の存在感は非常に薄くなっている状況で、街はPhotoshop済みの吉村知事の顔だらけという感じで、これはまあ強いなあという感じだった。

 

在阪メディアがどうこうとかいう話も聞くが、私のようにテレビを一切見ないような人間でも、大阪ではもうそういう選択肢しかないんだろうな、というのは薄々気が付くようなレベルに到達してしまっている。

まあそもそも、大阪の自民というのは以前からそんなに強い方でもなかったような気もするし、自民党が勝っているのはアジェンダセッティングが上手いからとか、マニフェストが優れているからという訳でもないだろう。色々と維新は特異に見えるが、足腰の強さというのはこういうところから来るんだろうなというのが垣間見えた気がする。



私は維新支持者でもないし、正直なところ、大阪がよくなったという実感も、これからの希望もあまり持っていない。とはいえ、アメリカから到着した、レンゾ・ピアノの美しく機能的な関西空港の元々のターミナルに比べて、後にできた、東京の帰りに成田から着くLCC用の第2ターミナルの落差が、大阪の状況の暗喩なんだよなあといつも思いながら、目先の安さに釣られて長い通路を歩かされるという選択をしてしまう人間だ。

PAW Patrolという子供向けの海外アニメがあって子供が大好きなのだが、英語音声で見ていると、スペイン語を交えて話すキャラクターがいる。今回日本で日本語版を見たら、彼は関西弁で吹き替えられていて、ここメキシコでスペイン語に囲まれて暮らす関西人としてよく分からない縁を感じたりもする。維新もそうなのだが、そういうアンビバレントな感覚が、離れて住むということなんだろうなと思う。

メキシコシティのエピクロス

BY ALAN GRABINSKY

知の普及に尽力してきたダニエル・ゴールディンは、今、様々なメキシコ人達に向けて、読書や休息、遊びを楽しめるパブリック・スペースを作ろうとしています

  

f:id:otsuka39:20210813081422j:plain立った耳、分厚いメガネに後退した生え際。ダニエル・ゴールディン氏(右写真:Daniel Goldin by ANNA VON BRÖMSSEN/CREATIVE COMMONS)は、いかにもステレオタイプな読書家といった感じを受ける。

ラテンアメリカで最も著名な公共図書館の1つで、メキシコのユダヤ人建築家アルベルト・カラッハによる巨大な格子状の書庫で有名な、ヴァスコンセロス図書館にて館長を務めた彼は、生涯を通じて本には不自由していないように見える。

一人当たりの読書量が世界で最も低い国のひとつであるメキシコや、20世紀末にやっと識字率が90%を超えたラテンアメリカ。そんな場所で、彼は読書習慣を普及させることに人生を捧げてきた。

1990年代には、アメリカのスカラスティック・シリーズのような児童書シリーズ「A la Orilla del Viento / 風の川辺」を創設し、スペイン語圏の子どもたちに向けて、このジャンルの再定義を行った。30年の歴史を持つこのコレクションは、300種類以上の本を出版し、ラテンアメリカやスペインの若い読者達に影響を与えてきた。

 

私はゴールディンのファンの一人として育った。9歳のころには、彼がスペイン語に翻訳した、アンソニー・ブラウン著の、シャイで本好きな若いゴリラの絵本「Willy the Wimp / こしぬけウィリー」に夢中になっていた。彼が企画したブックツアーで、メキシコシティで著者に会うことまでした。壁にかかっていたWillyの絵のことを覚えている。

 

ハイデガーマルクススペイン語圏に紹介し、オクタビオ・パス、カルロス・フエンテスフアン・ルルフォの処女作を出版したことで著名な、メキシコの権威ある政府系出版社Fondo de Cultura Económica(FCE)から「A la Orilla del Viento」の創設を任されたことは、ゴールディンにとって大きな挑戦となった。

彼は、子ども向けの本に人々が何を求めているのかを探るために多くの本に目を通し、その内容がどれも「あまりにも定型的」であると思い知らされた。彼は子どもを大人として扱うことにした。つまり、子どもの「成長」のためではなく、自分自身のために読書を楽しみ、読者が広い世界と関わることを目的とした作品を出版することにした。

彼が最初に翻訳した本の1つは「The Bridge in the Jungle / ジャングルの橋」で、ペンネームだがドイツ人と思われるB・トレーベン(「シエラ・マドレの秘宝」も書いている)による200ページの小説で、ドイツの社会主義新聞「Vorwärts/フォルヴェルト」に連載されていたものだ。ラテンアメリカ、特にメキシコ南部のチアパス州におけるキリスト教と原住民文化の違いを扱った作品で、父親が司書として働いていた、メキシコのユダヤ人向けスポーツセンターから借りてきた、子供の頃のお気に入りの一冊だった。

 

ゴールディンの父はポーランドに生まれ、3歳でアルゼンチンに移住し、その後、左翼シオニスト運動の青年団「ハショメル・ハツァイル」の一員としてキブツ・ネグバの設立に携わる。そこで、1920年代にトルコからメキシコに移住してきたセファルディック系のユダヤ人で、同じようにハショメルのメンバーだった母親と出会った。ゴールディンは後ほど、父親がハラスメントの疑いでキブツを追い出され、一時、妻と一緒にイスラエルのアシュケロンに移り住み、夜警として働いていたことを知ることになる。

 「自分のルーツを求めてアルゼンチンを旅したときに、そのことを知りました。」彼はいう。「探求を始めたいと思うとき、問いは重要です。名前をつけて言葉にするという行為は、絶対的な解放感をもたらし、この逆説的な世界で生きることを可能にしてくれるのです。」

 

両親はアシュケロンで数年過ごした後、メキシコに住む親戚の援助によりメキシコシティへ移住する。1958年、ゴールディンは家族の四男としてメキシコで生まれた。

一家が住んでいたのはNarvarte/ナルバルテという地区で、ゴールディンは「貧しいユダヤ人が多く住む地区」だったと言う。両親はどちらも高等教育を受けていないが、父親は熱心な読書家だった。家ではスペイン語ヘブライ語を話した。「誰もポーランド語やトルコ語は話しませんでした。それらは離散先の言語であり、シオニストの教育によって否定されたのです。」


La Ciudad de México en el Tiempo: Colonia Narvarte

 

高校を卒業し、イスラエルでギャップイヤーを過ごした後、1978年にゴールディンはバックパックいっぱいの本を持ってサンフランシスコに旅立つ。フリオ・コルタサルの「石蹴り遊び」、アレン・ギンズバーグの詩、ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」、アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」、オクタビオ・パスの訳書「Versiones y diversiones」などである。ジャック・ケルアックの影響を受けて、ヒッチハイクアメリカを横断し、ニューヨークを訪れた後、スペインのバルセロナでは、後にスペイン語圏で最も影響力のある小説家となるロベルト・ボラーニョとも出会う。バルセロナでの2年間の滞在では、作家兼画家を目指した。

1980年にはメキシコに戻り、校正者として働き始める。校正は苦手だったと、彼はいう。やがて、友人のアルゼンチン系ユダヤ人編集者アレハンドロ・カッツがいた、Fondo de Cultura Económica社にて働くことになる。

 

ゴールディンは、児童書シリーズ「A la Orilla del Viento」の立ち上げを任され、1991年から2009年までこれに関わった。その後、出版、読書、執筆に関する書籍の選集「Ágora」に携わり、ミシェル・プティの「The Art of Reading in Times of Crisis」や、ラビであり哲学者でもあるマルク=アラン・ウアクニンの本「Bibliotherapy」(リオ・デ・ジャネイロのファベーラなどの貧民街で行われている読書スペースと読み書き講座が、暴力を減らすのにどう役立っているかを記している)などを紹介した。

また、2006年のビセンテ・フォックス大統領の任期末に行われた、メキシコで初めての読書に関する全国調査の策定とコーディネーションを行い、その調査結果をヴァスコンセロス図書館の講堂で行われた公開イベントで発表した。その時は、まさか自分がその後にこのような巨大施設の館長になるとは夢にも思っていなかった。

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Biblioteca Vasconcelos, photo by Diego Delso CC BY-SA delso.photo

 

ゴールディンは、彼が言うユダヤ教弁証法的・批判的な伝統、つまり、特定のテーマを掲げ集中的に議論することに、強い興味を持っている。「世界は常に解釈されるものであるという考えは、私にとって、世界中に散らばって住むユダヤ人に典型的なものです。」一方で、スピノザフロイトのような、ユダヤ人思想を流用して作られた感のあるユダヤ人のナショナリズムには、あまり興味はない。彼らはユダヤ人のコミュニティと対立的ではないにしても、アンビバレントな関係だった。

「私は反イスラエルではありませんが、ユダヤ人の流浪の考え方に主な興味があります。流浪の中で生きることが、存在論的な条件になるのです」とゴールディンは言う。「私にとって重要なのは、完全に異なる他者を受け入れるために、自らの家を開放するという原則です。デリダフロイトスピノザなどのユダヤ人思想家は、人間の主体は何度も何度も発見されるべきものであるとしています。」

 

ゴールディンは、2013年から始まったヴァスコンセロス図書館での任期中に、このホスピタリティの原則を実践することになる。建築評論家が、21世紀のメキシコにおける最も重要な公共事業と評価しているこの巨大な建物を、新しい形の社会的関与のための巨大な実験室に変えた。開館時間外のモダンダンスショー、数学の勉強会、初産婦のための1カ月間の育児情報講座、見ず知らずの人と座って話をする「人間図書館」などを企画し、図書館は年間200万人の利用者を迎えた。

2019年から始まったアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領の政権は、主に政治的な理由で、「旧体制」の一員とみなされていたゴールディンを追放したが、この決定は、政治的な立場を超えて、図書館での彼の仕事やリーダーシップを評価していたメキシコの知識人や図書館の愛好者たちから、反発を招くことになった。

この記念碑的な建物は、その後、集団予防接種の会場となってしまった。一方、ゴールディンはメキシコの公共圏がますます分極化し、断片化が進む状態への解決策として、再びスポットライトを浴びるようになっている。その戦略とは、当然のことながら「本」である。

 

ゴールディンは最近、歴史上の名園にヒントを得て、メキシコシティJardín LACを設立した。これは市民団体であり未来の公共空間となる。「読む、聞く、歩く、語る、考える、休む、学ぶ、働く、遊ぶための場所」として、さまざまな階級や背景をもつメキシコ人たちを結びつけることが目的だ。Jardín LACのデザインコンセプトは、「エピクロスの園」をエコな視点で再解釈したもので、社会や人間の多様性と、生物多様性(biodiversity)の両方に焦点を当てる。

人類学者のNestor García Canclini氏、ハーバード大学客員研究員で教育専門家のElisa Bonilla氏、政治学者のMauricio Merino氏など、著名な知識人がボードメンバーとして並ぶ。

 

コロナのパンデミック以前には、ゴールディンは、メキシコで唯一、スペイン植民地時代から続く教育機関で、孤児や売春婦など社会から排除された人々のためにバスク人が設立した、Colegio de las Vizcainasからもアプローチを受けていた。しかし、コロナによってその計画は中断されている。 

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Colegio de las Vizcaínas Photo by YoelResidente CC BY-SA

現在のプロジェクトがどのような展開を見せるかはわからないが、彼は「読書は本質的に市民的で社会的な行為である」という生涯にわたる信念を固く守っている。「スペイン語ラテン語では、世界という言葉は、”きちんと整った”という意味です。*1それは選択の行為です。読書は、この世界に暮らすための手段なのです。」

 

(原文はこちら

 

*1:スペイン語で「世界」を意味するMundoはラテン語のmundusから来ている。mundusは「きちんとした、きれいな」という意味で、ギリシャ語の「秩序、配置、適合、落ち着き、完璧さ」を翻訳するために使用された

メキシコ中間層の苦境

よその国にちょっと住んだくらいで何がわかるのかとか、旅行してどうするんだというのは、まあ概ね正しい批判だと思うし、そもそも偉そうにわかった気になって語るのは恥ずかしいものだ。とは言え、それでもやらないよりやったほうが良いのは、物事の理解というものが、自分自身の肌感と、言語化された何かとの合わせ技のような気がするからだ。

 20年ほど前に中国の広州にいたとき、一度だけ知人に会ったのだが、「街が臭いですよね」と言われて、おおお、そう言われるとそうだなと思い、その瞬間から自分の中で街の匂いというものが鮮明に感じられるようになった。なかなか不思議なものだなあと、とてつもない湿度の街を歩きながら思ったことをよく覚えている。

体験というものは結構バラバラなもので、個別に漂っているものが、なぜかものすごく言語化が上手い人とか、旅行記とかと出会って、それが結合されて腑に落ちるようになる。いかんせん事後だったりすることも多いのだが、そういう消化のプロセスが結構重要なんだな、と最近になってわかってきた。



を読んで感じたのもそういうことで、メキシコの中間層の現状をうまくまとめていると思う。

中間という言葉には、宿命的に上と下に挟まれ、転落に怯え上に向かって努力し続けなくてはならない、という意味が含まれているのは世界共通だと思うが、層としてどこまで大多数で、どんな共通意識を持っているかは、国による。メキシコだと、統計的には半数程度が中間層、36%が下流層、19%が上流になるとのこと。

中間層と聞くと、日本だとサラリーマン家庭というイメージが強くて、まあバブルの頃までは、国民の大多数を占め、安定の代名詞だった気がする。しかし、ここで指摘されているように、メキシコでは中小規模の自営業者という感じが強い。そうすると、景気変動の波をもろに被るので、中間層=守られているという感覚が逆になり、脆弱な層となる。

引き続き国全体としては貧しいので、政治は全体として貧困層に目が行きがちな上、金持ちへの課税が弱いので、中間層は受益以上の負担感がある、というのも頷ける。

「メキシコには2つの中間層が足りない」というマッキンゼーのレポートが2019年に出たらしいが、しっかりした中堅企業と消費力がある中間層が弱いという分析で、先進国のように、中間層が安定し経済の主役になっていないことは明白だ。

 

 

先月の6月に、日本の統一地方選挙のような感じの選挙があったのだが、メキシコシティの各区の区長選で、結果が与野党できれいに東西に分かれ、これが地区の所得と連動しているのではないか、という話題が盛り上がっていた。

なかなかそういうことを理解しながら大統領の発言を読むと、非常に味わい深いものがある。彼の頭の中では、「上流+中流 VS. 下流」という構造となっているようで、これは確かに中間層にはあまり心安らぐものではないだろう。

 

He has called middle-class Mexicans “individualist” and accused them of wanting “to be like those above and climb as high as possible with no scruples”.

The president conceded that people should want to “improve” themselves, but clarified that they should “not become selfish and aspire to be snobs”.

 

"Los más afectados (en las alcaldías de) Iztapalapa y Tláhuac,de gente humilde, trabajadora, buena, entiende que estas cosas desgraciadamente suceden y ahí no impacta política, electoralmente. Sin embargo, en las colonias de clase media y media-alta, ahí sí", dijo AMLO este martes.

 

一方で彼の発言には個人的に頷ける面もある。私はメキシコシティのローマとかポランコのようなSnobsの「金持ち地区」があまり好きではないのだが、外国人なので、あんまりそこらで売っていない食べ物を探さざるを得ず、そういうものは全部この辺にしかない。

心の準備をして渋々行くのだが、何でもかんでも気取っていて、クソみたいな健康志向とか、たかがタイのグリーンカレーのくせに2,000円以上になるクソみたいな値付けのレストランだらけの癖に、界隈の運転マナーは相変わらずクソなので、向上しているものを間違えている気がして仕方がない。

嫁と話していて、この辺は「向上心がある人」が住む場所ね、と言っていて、上手いことを言うなと思ったのだが、単純に「金持ち地区」と呼ぶよりはもう少し中間層寄りのような気がするし、こちらのほうが正しい感じがする。

そういう意味では、私は昔から向上心がなく、興味だけでここまで来てしまった。現地採用の低賃金に打ちのめされて真面目に働くことを半ば諦めさせられた状態でもあるので、メンタリティとしても全く馴染めない。

 

以前知人から、子供のころ、親に「うちは貧乏なの?」と尋ねたことがあったという話を聞いたことがある。しかし、知人の両親は共に医者で、貧乏な訳もない。それでも子供心には、生活がいつも質素でそう感じられたらしい。地方都市在住で医者夫婦の家庭を中間層とは言わないが、日本の中間層の生活というのは大体そんなもんだろう。それに比べて、こちらでは顕示的消費が何でこんなに好きなんだろうな、というのに行き着くのかもしれないが、そういう街はどうしても疲れる面がある。


 

メキシコで暮らし始めて、土地やら建物の固定資産税、投資に対するリターンの税、相続税といったものが明らかに日本と比べて安く(まあ日本も高すぎる気がするが)、金持ちが永続化されるような仕組みが嫌でも目につく。

以前から、なぜ中間層が上流に見方をして、例えばビセンテ・フォックスのような人が大統領になるのか、というのが謎だった。世界一の肥満でソフトドリンクの飲み過ぎが問題の国で、コカ・コーラボトラー会社社長の億万長者が大統領になるなんてまさにジョークじゃないかと思っていたのだが、本来、「上流 VS. 中流下流」で戦わなくてはならないのに、中間層も痛めつけられているので、そっちに行っちゃうのかな、という気もする。

先日も子供の幼稚園の話を嫁としていて、モンテッソーリの幼稚園の月謝と、そこで働く先生の給料が同額くらいという話になった。今回のコロナの騒動で、先生はさらに給料半額を提示されたそう。先進国並みに高いプライベートセクターの教育費と、恐ろしい低賃金というのは本当にどうにもならんのかなと思う。

その先生の子供は間違いなくその学校に行けないし、そんな状況で先生がどうモチベーションを持って働き、子供がちゃんと先生を尊敬するのか・・という気がしてしまうのは、自分だけなのか。理念を実践するのが教育じゃないのか?

 

まあそれでも毎年出る国際比較で幸福度は高い国、メキシコ。色々と興味深い。

 

■中間層を歩く

トルティーヤの値上がり

それでも経済再開のなぜ

南米 - 無職の日々

 

メキシコシティの家探しと都市の輪郭

メキシコシティで家を買おうかと思い、色々と見て回っている。予算的に新築は買えず、中古でいいので、そこそこいい場所がいいなと思うのだが、いい場所で予算に見合う物件というものは何かしら訳アリであることが多く、今回見た物件もそうだった。

土地というものは歴史と密接に結びついていて、調べてみると、メキシコの輪郭がうっすらと見えてくる。

 

メキシコシティで文化があり、歩いて街を楽しむことができると感じる場所は、そんなにない。公共交通が便利で、街が面状に広がり歩いて楽しむことができるような東京のようなイメージでいうと、映画にもなったローマと呼ばれる地区と、メヒコ公園、エスパーニャ公園をはさんだコンデサあたり、そして駐在員がよく住むユダヤ人街のポランコ、インスルヘンテス通り近くのナポレス、ローマの北のファレス、ゾナロサと呼ばれる場所くらいになる。

分かりやすいのは、Ecobiciという市がやっているレンタサイクルのカバー範囲で、要するにこのなか以外は見栄えがする街ではないということになる。最初に知ったとき、これは官製の差別みたいなもんだなと感じたが、我が家はこのゾーンから離れていて、都市なのだが住宅ばかりの砂漠のような感じで、歩いてどこかに行くというより、車で買い物にでかけるような感じのエリアになる。まあ車でローマ地区に行ったりすると、道が狭いので毎回駐車場所に難儀するし、地震でビルは崩れているし、気取って何でも高いので、個人的には一長一短だなと思うが、負け惜しみ感は常に漂っていた。

 

そんな中で不動産サイトで見つけた、レフォルマとインスルヘンテス大通りが交差するあたりの場所の物件だが、周辺の値段を考えるとかなり安いものがあったので、見に行ってみた。
少し変わった間取りで、台所を無理やり移設するなどしていたが、1階なのでちょっとした庭もあり、リビングは屋根が高く、物件自体は悪くない。

その後、建物の周りを少し歩くと、道の先がテント村のようになっていて、交差点は彼らのテントで占拠されている。これでは車が通れない。歩道を進むことはできるが、異臭がするなど、あまりよい環境とは言えない場所となっていた。

 

テント村の住人たちは、どうもメキシコの先住民族オトミ族の人達らしい。元々、向かいの放置された邸宅跡に20年以上勝手に住んでいたが、2017年の地震で建物が崩壊したこともあり、市当局が敷地から追い出したところ、建物の両端の道路を占拠してテント村を作り、今に至るようだ。

彼らは主にゾナロサなどのエリアで、民芸品の人形を露店で販売するなどして生計を立てているそう。追い出した市当局に対して、近隣で代わりに住む場所を要求して占拠を続けており、市が提案した場所は、働く場所から遠いという理由で拒否したとのこと。

ちなみにこの邸宅は、スペイン内戦時代にフランコと敵対する共和国派の大使館として利用されていたものだった。当時、枢軸国がフランコ支持、アメリカやイギリスが中立に回る中、国として共和国派を支持したメキシコは、敗れた共和国派の知識人を多く受け入れ、彼らがメキシコの近代化に果たした役割は非常に大きいが、共和国派の大使館が続くのは難しく、土地の権利関係はうやむやとなり、その後放置されていたようだ。

 

メキシコシティは高級なエリアとそうではない地区がサンドイッチのように隣り合うような傾向があるが、高級な地区の中にも、このように不法に占拠された場所がまだらにある。そこには、国と都市の歴史、そして先住民の扱いという、メキシコの抱えるルーツが凝縮して噴出している。

ちょうどこの占拠がある交差点の角は、お上品なチョコレート博物館と、こじゃれた再開発ビルが建っていて、ジェントリフィケーションを着々と進めていたのが見事に水泡に帰している。再開発ビルのGoogle mapsレビューには「A huge contrast between homeless and hipster.」と書かれていて、誰がうまいこと言えといったんだ、という感じだ。

私はジャカルタの高速道路から見下ろすスラムとか、ラゴスの密集、ブエノスアイレスの夜の中央駅周辺などに心が震えるような旅行者で、学校に通うのに遠回りして大阪の鶴橋から歩いたり、メキシコ人の嫁に東日本大震災の後の福島浜通りを案内したりするタイプなので、子供とこういうところに住むのもいいかなとも思うのだが、まあ当然ながら嫁はあんまり気が進まないようだった。

Selenaとか人種とか

NetflixでSelenaを見ている。主人公はテキサス発祥のラテン音楽、テハーノ・ミュージックで有名な女性歌手で、20代半ばの若さでファンクラブのマネージャーに射殺されるという、悲劇的な最期を迎えたことでも有名だ。
ラテン、ヒスパニック、テハーノ、様々なくくりを示す言葉があるが、街並みや暮らしなど、映像は90年代のアメリカ的風景に彩られている。

この人たちは一体何者なのか、というのは今も続く複雑な問いで、ヒスパニックはアメリカの区分では人種ではなく、ラテン系というのはあんまり自称しないようなのだ。
また、メキシコでも、地理的な分類では北米に入るので、日本人がいう中南米系という概念で話すときに、少しずれを感じる時がある。


揺れる人種の概念 混成化が進むアメリカ」という記事を読んだが、いろいろとそのあたりを考えながら読むと面白い。
ヒスパニックの半数以上は自身を白人と思っており、白人の定義にはレバノン人、アラブ人なども含まれるなど、そういうものなのか、と思う。

最終的には自意識の話になるものの、色と見た目である程度グループ化が繰り返されるという感触は、確かにメキシコにいて、痩せたヨーロッパ系に見える人たちばかりが出てくるテレビCMを見ていると、頷かされる面もある。

 

西アフリカを周っていた時、ガーナで、褐色系の人が「あいつはほんとに真っ黒だなあ!」などと言っていたことを思い出す。そして、自分も吊り目のアジア系な訳だが、息子がどういう自意識になるのかも、興味深い。

トルティーヤの値上がり

メキシコの主食、トルティーヤがどんどん値上がりしている。3月の統計では、年率6.15%の上昇となったらしく、これはインフレ率を上回る。

自分の周りでは、キロ当たり12-15ペソくらいで売っているが、この間通りがかった店では、値段を含めて作った看板に12ペソと書いてあったものの、横に手書きで .99 と付け加えて12.99ペソに値上げして、なんとか看板をそのまま使おうとするなど、色々と涙ぐましい努力が見られる。
年間でガス代が36%、トウモロコシの粉が31%の値上がりとのことで、引き続き値上げ基調は続きそうだ。

 

この10年とか20年、世界を旅行していても、中国の驚異的な貧困脱出を含め、中間層が育ってきている感覚はあったが、今回のコロナで中間所得層が大きなダメージを受けているという話がある。英語版の記事は日本語版より長くて、各国のルポがブルームバーグに出ていたが、中間層から転落したと推計されるうちの60%はインドで、エンジニアや教師など、給与所得者の職が大きく減少したとのこと。

ブラジルでは、食料品や日用品が通貨レアル安に伴い値上がりし、牛肉から、より安い鶏や卵へと消費が移っている。南アフリカでは、初めて一人暮らしをするような層が好む、安めの家賃の家の空室率がどんどん上昇し、家族層の家などと比べて悪化がひどいなど、新興国の中間層の苦境が浮彫りになっている。

 

そんな中、一時期売り込まれていたメキシコペソが最近少し戻しているな、という気がしていたら、理由を解説する記事が出ていた。メキシコ経済は、しばしばもう一つの中南米の大国、ブラジルとの比較で語られることが多いが、この記事もそんな文脈で語られている。

メキシコは本当にコロナ対策で金を使いたがらないな、というのが肌感でもあったのだが、IMFのデータでは、ブラジルは国内総生産(GDP)比8.6%の追加支出を行ったのに対し、メキシコでは0.6%しか支出を増やさなかったらしい。

これでは通貨が上がっても、国民にとっては正直複雑な感じだろうが、ブラジルの方が財政不均衡(要するに支出が収入より大きい)で、経済はメキシコの方が輸出依存型になっている(巨大市場のアメリカ様が隣なので)という違いがあり、ブラジルは先に金利を上げざるを得ない。まあどちらもリスク通貨で、似たり寄ったりのところがあり、通貨安が物価高につながりやすいが、ブラジルの物価高が目立ってきているようだ。

 

そんなようなことを中国人と話していたら、まあ確かに中国はうまくやれていて、中間層への影響もそれほど大きくないが、そもそも若者の生きにくさは半端ない、日本、韓国も含めた北東アジアの宿痾というか、若者が犠牲にされる経済であることは間違いないからねえ、というような反応があって、それはそれでまた難しい感じだよなあとしみじみ思う。