東京はもはや「未来」ではない ― そこは、80年代のポップカルチャーが約束した未来が完璧な形で保存された場所であり、ソウル、深圳、ドバイはこの10年間、その「その先」の未来を築き上げてきた

By Daniel Moran
Published May 13, 2026

 

この10年間で、私は5回東京を訪れた。何度も足を運ぶ理由はいくつかある。一つには、どんな基準で測っても、東京の食は世界一だからだ。また、今ではお気に入りのバーや本屋、特定のエリア界隈など、再訪を楽しみにしている場所がいくつかあるからだ。そして、東京は私のイマジネーションの中で特別な位置を占め続けており、これまで訪れたどの都市も、その感覚を完全に再現できていないからだ。

私が書きたいのは、直前数ヶ月前の訪問時に気づいた奇妙なことだ。それは、私の想像の中で東京が占めている場所が、よくよく考えてみると、現在の東京の実態とはもはや一致していないという気づきが、徐々に生まれてきたことである。私の頭の中に抱いていた東京、つまり30年にわたる文化的な接触によって築き上げられた東京は、実際に私が歩き回っていた現実の東京とは異なっていた。この二つは違う。その違いこそが、ある意味で、本質的な問題なのだ。


私たちが夢見た東京

私の想像の中の東京は、1980年代から1990年代にかけて、私の世代のほぼ全員が、無意識のうちに吸収していた特定の文化的要素によって形作られていた。新宿をモデルにした『ブレードランナー』のネオンに彩られた街並み。新幹線。サイバーパンク文学。ビデオゲーム。缶入りのホットコーヒーを売る自動販売機。戦後の規律と技術的野心の相乗効果によって、他の先進国を飛び越え、やがては他の先進国も追いつくであろう未来へと突き進んだ社会のビジョン。

そのビジョンは、当時、東京の実情を的確に捉えていた。1985年、東京は都市の近代性を測るほぼあらゆる指標において、私たちが住んでいた他の都市よりも先を行っていた。電車はより優れていた。自動販売機はより奇抜だった。ネオンの輝きはより鮮やかだった。この街全体が、ある意味で、世界の他の地域とは異なるタイムラインで動いていた。未来はまず東京で起こっており、私たちはその光景を、羨望と、いつか自分たちにも同じ未来が訪れるという期待が入り混じった複雑な心境で見守っていた。

このビジョンを目の当たりにした私たち誰もが、当時完全には認識していなかったのは、そこに描かれた未来の東京が、1980年代の技術的・美的前提に基づいて構築された、ある特定の姿であったということだ。具体的には、密集した都市形態の上に、物理的な技術が密に重なり合っている姿だった。ネオンサイン。パチンコ店。タクシーに積まれたカセットデッキ。どのオフィスにもあるファックス機。1980年代の日本経済が、他のどの国よりも大量に生み出した、素晴らしく、そして少し不条理なほどに高密度な物理世界の技術。

その未来像は、物事がどう展開したかもしれないという、ある特定の分岐点における未来だった。その分岐点とは、物理世界の層が無限に厚みを増し続けるというものであった。また、現存する証拠から判断するに、その分岐点は、世界の他の地域が実際にたどった道ではなかった。


世界が変化していく中で、東京が取った行動

2000年代初頭のある時期、東京が取った行動は実に驚くべきものだったが、私は今回の訪問までその真価を十分に理解できていなかったと思う。東京は、文化的嗜好と経済停滞が相まって、次なる段階へと進化し続けるのではなく、1980年代の「未来像」をそのまま保存することを選んだ。ファックス機は残り、現金文化も残った。あの独特の都市の密度、幾重にも重なるネオンと小さな物理的インターフェースが織りなす独特の美学、そのすべてが残り続けた。東京は、ある意味で、1985年に想像された「未来」の博物館となったのだ。並外れた注意を払って維持されているが、もはや新たな要素は加わっていない。

はっきり言っておくが、これは批判ではない。この保存は、多くの点で素晴らしいものだ。東京は、私がこれまで過ごした中で最も居心地の良い大都市であり続けている。電車は相変わらずかつて通りの動きをしている。自動販売機は相変わらず奇妙でありながら頼りになる。コンビニは、私が訪れた他のどの国のコンビニよりも依然として優れている。この街全体は、入手可能な証拠から判断する限り、世界の他の地域が決して追いつけなかった、ある種の確かな正確さで今も機能している。住みやすさのあらゆる尺度において、東京は私が訪れた主要都市の中でトップクラスに位置している。

よくよく考えてみると、東京は「未来」ではない。より正確に言えば、東京とは、過去が描き出した「未来」が完璧に保存された姿なのだ。ここ20年の技術的・経済的勢力が生み出してきた「真の未来」は、別の場所で展開されている。


真の未来が構築されている場所

私は過去5年間で3回ソウルを訪れた。深圳には2回行った。ドバイには一度、去年の冬に1週間ほど滞在した。これらの都市で起きていることは、よくよく考えてみれば、1980年代の東京がやっていたことと同じだが、1980年代の素材ではなく、2020年代の素材を用いて行われているのだ。

とりわけソウルは、この10年間で、真に新しい都市の構成を生み出したように感じられる。モバイル決済、リアルタイムの公共交通データ、アンビエント・リテール、そして私が「ポスト・フィジカルなインターフェース文化」としか表現できないものの統合により、古い形態を単に濃縮したような印象を与えない都市が生まれたのだ。より正確に言えば、この都市は古い形態の「希薄化されたバージョン」のように感じられる。物理世界における摩擦の大部分が取り除かれ、その代わりに、背景で目に見えない形で稼働するデジタルインフラが代わって機能しているのだ。ネオンは依然としてそこにある。しかし、ネオンはかつて果たしていた役割をもはや担っていない。その役割は、目に見えない層の別の場所で、様々なアプリやシステムによって担われている。それらは、ある静かなプロセスを経て、都市の実際のオペレーティングシステムとなっているのだ。

深圳は、ある意味で、同じ構造のより攻撃的なバージョンだと言える。この都市は過去40年間に、ほぼゼロから建設されてきたが、その建設は「デジタル層が主たる層であり、物理層はそれを支えるもの」という前提の下で行われてきた。その結果生まれた都市は、率直に言って、実際に歩き回るという点ではソウルや東京よりも居心地が悪いと感じられる。また、よく観察してみると、この都市は過去の時代ではなく、次の時代の前提に基づいて最も明確に機能している都市でもある。その居心地の悪さは、ある意味で、実際の変革の最先端に立つことの代償なのである。

ドバイは3つ目のバージョンであり、最も奇妙な都市だ。ドバイは、既存の都市構造ではなく、2020年代の前提に基づいて設計された都市の建設に、実質的に無制限の資本が投入された結果生まれたものだ。よく観察してみると、その成果は少し不気味にさえ感じられる。この都市は、従来の意味での「都市」という感覚を醸し出していない。この都市は、たまたま建物が含まれているに過ぎない、ある種の空調管理された体験環境のように感じられる。これが未来なのか、それとも未来に対する過剰な是正なのかは、まだ明らかではない。いずれにせよ、これが1985年の描いた未来ではないことは間違いない。より正確に言えば、これはまだ明確な名称を持たない何かの未来なのである。

深圳



私たちが今、東京に見るもの

こうしたことを踏まえると、東京について奇妙なのは、私と同世代の人々の想像の中で東京が占める文化的地位が、ほとんどの場合、更新されていないという点だ。私たちは依然として、東京を「未来が早く到来した都市」として捉えている。この連想を定着させた文化的産物は、形を変えて今もなお生み出され続けている。新作『ブレードランナー』シリーズも、視覚的には東京を彷彿とさせる都市を舞台にしている。ビデオゲームも、依然として同じ視覚的語彙を借りている。より広範な文化的文脈において、東京は40年前に占めていた位置に、ある意味で凍結されたままである。東京そのものも、静かな選択によって、更新を続けるよりも、その位置にとどまることを選んだのだ。

この「凍結」は、ある種の二重の効果を生み出した。東京という目的地は、私と同世代の人々にとって、以前よりもむしろ魅力的になっている。なぜなら、この都市は、私たちの文化的条件付けによって「未来的なもの」と見なすよう訓練された視覚的体験を、今も提供し続けているからだ。その視覚的体験が、もはや未来の実際の最前線とは一致していないという事実は、ある意味で本質ではない。私たちは、ほとんどの場合、未来を見るために東京に行くわけではないのだ。私たちが東京に行くのは、過去が描く未来像を見るためだ。率直に言えば、それは実際の未来が自らを映し出す姿よりも、はるかに視覚的に魅力的なものだからである。

ソウルや深圳、シンガポール、ドバイで現在築かれつつある「現実の未来」は、現時点で入手可能な情報を見る限り、1980年代に描かれた未来像ほど写真映えするものではない。現実の未来は、ほとんどの場合、目に見えない。その営みは、目に見えない層で進行しているのだ。現実の未来の都市において、目に見える層は、東京のそれよりもむしろ、彩度が低いことが多い。未来の美的ピークは、ある意味で、すでに過ぎ去ってしまった。私たちは今、ポスト・エステティックな段階にあり、そこで作業はカメラの届かないどこかで進められている。


東京に戻るたびに思うこと

今、東京に戻るたびに思うのは、ある種の保存された歴史的遺物を訪れているのだということだ。その遺物は、世界でも特に丁寧に維持されているもののひとつである。また、よく観察してみると、その遺物は、未来の最先端であった瞬間が少なくとも20年前に過ぎ去り、進化を続けるのではなく、静かな選択によってその瞬間に留まることを選んだ都市でもある。

率直に言って、これは問題ではない。この選択は、都市が下し得る正当な選択肢の一つに過ぎない。進化を続けることを選んだ都市の多くは、現存する証拠によれば、居心地の悪い場所を生み出してきた。一方、東京が「止まる」ことを選んだ結果、よく見てみると、世界で最も居心地の良い都市の一つが生まれたのだ。その居心地の良さは紛れもない事実であり、私が何度も戻ってくる理由そのものである。

よく考えてみると、私が東京でもはや得られなくなったもの、それは「未来を訪れている」という感覚だ。最初の3回の訪問では、その感覚こそが私の体験の中心を占めていた。しかし、ここ2回の訪問で、その感覚は徐々に薄れていった。その代わりに私が得ているのは、ある特定の時代の全盛期を訪れているという体験だ。そこは丁寧に保存され、今も美しいが、もはや何ものかの最先端ではない。最先端は別の場所にある。現時点で得られる情報によれば、最先端はソウルや深圳、ドバイにあり、おそらく私がまだ訪れたことのない他のいくつかの場所にもあるだろう。

しかし、最先端という場所は、そこに身を置くにはかなり居心地が悪い。したがって、東京は今や、未来の一片となるのではなく、美しい人工物となることを意図的に選んだ大都市として、人類史上最も成功した事例の一つであると私は表現したい。この選択は、よく考えてみれば、私たちのほとんど全員が深圳よりも東京を訪れたいと望むという事実によって、正当化されていると思う。その正当性は現実のものだ。私たちが訪れている都市が、よく観察してみると、私たちが思っているようなものではないという事実もまた現実だ。両方が真実であることはあり得る。現時点の証拠に基づけば、両方が真実なのである。

 

(原文はこちら)

コルカタとダッカ

(こちらから続きます)

さて、今回は山の中を陸路で駆け抜けてきたのだが、私は本来大都市が好きだ。
旅行の中で境界を眺めようとすると、大都市以外まで行かなくてはならないこともあるが、都会の躍動感とか中間層を観察するというのが昔から私のテーマで、最近だと地下鉄、スマホ決済、ショッピングモールあたりが三種の神器かなと思う。


今回はそういう意味で言うと、インドのコルカタと、バングラデシュのダッカが大都会だった。どちらも地下鉄があり、インドはUPI、バングラデシュはBKashというQR決済のバーコードがどこでもある。ショッピングモールも大規模で綺麗なものが揃っている。


ダッカメトロは最近の開通だ。鉄道マニア的に言うとA-trainの日本式車両とシステムで、駅にはJICAのプレートが至る所に貼られている。オールドダッカを観光したら、冷房の効いた車内に逃げ込んで、駅前のショッピングモールのフードコートでチキンバーガーを食べて、メトロで戻るというようなことができるようになった。
インドの大都市で常に悩みの種だった空港から市街地へのアクセスも、メトロが空港と直結するようになり、大幅に改善された。旅行者がインドに入るのはデリー、ムンバイ、コルカタあたりだろうが、今やどこも空港に駅がある。
ちなみにこのあとはバンガルール、チェンナイ、ハイデラバードと都市ランキングが続くらしいのだが、チェンナイは既に開通、残りも計画中か建設中のようだ。ただ、この辺はまあ特定の産業の人が出張で行くようなイメージの気がする。

インド・コルカタ地下鉄の空港駅

渋滞や酷暑を避けられるという意味で、実にありがたいメトロ。私は旅行者として、また中国の利便性向上などを見てきた感覚から、比較的メトロ至上主義者なので、住んでいたメキシコシティがメトロからBRTシステムへ整備の重点を移していることになんとも割り切れない思いを抱いたりしていた。ただ、一律にどの都市でもメトロが解決策、とはならないことも確かだろう。
ちょうど旅行中にGoogleがリコメンドしてきた2つの記事が、その辺りをうまくまとめている。AIにまとめてもらった。

The Daily Star Dhaka's metro rail: Mass transit solution or missed opportunity? ダッカのメトロ:大量輸送の解決策か、それとも失われた機会か?

  • ダッカ交通の新時代と現状

    • ダッカ初のメトロ(MRT Line-6)の開通は、慢性的な渋滞に悩む市民にとって革新的な変化をもたらし、特に女性や学生にとって安全で予測可能な移動手段となった。

    • しかし、これが「都市全体の交通問題を解決する決定打」になっているかについては疑問が呈されている。

  • 世界で最も「高額」な鉄道建設

    • ダッカMRT 6号線の建設費は、1kmあたり約2億3,400万ドルに達する。これはインドの各都市や、ベトナム、さらには先進国と比較しても極めて高額であり、その膨大な対外債務(主に円借款)が国の財政を圧迫するリスクがある。

  • ターゲット層のミスマッチ(格差の露呈)

    • メトロの主な利用者は、元々UberやPathao(ライドシェア)、自家用車を利用していた層が中心。

    • 一方で、ダッカの交通弱者である低所得層や工場労働者にとっては、バスの約2倍という運賃設定が壁となり、結局「地獄の渋滞」のなかでバスを待ち続けるしかないという、移動手段の二極化(階層化)を招いている。

  • 「渋滞解消」への限定的な効果

    • メトロの運行で特定のルートの移動は劇的に速くなったが、地上では依然としてカオスな渋滞が続いている。これは、バス路線の整理や自家用車の流入規制が全く手付かずのままであるため。

  • 「点」から「面」への統合の失敗

    • 地下鉄駅が「孤島」のようになっており、駅から目的地までの歩道が整備されていない。車椅子での利用や、雨天時のアクセスが考慮されておらず、結局駅までリキシャやバイクを使わざるを得ない非効率さが残っている。

  • 「失われた機会」の正体

    • メトロという輝かしいハードウェアを手に入れた一方で、最も安価で効率的なはずの「バス路線の近代化」や「歩行者中心の街づくり」という、より広範囲に利益をもたらすはずのソフト面での改革が置き去りにされたと批判されている。

 

BBC News India has splurged billions on metro trains. But where are the commuters? インドは地下鉄に数十億ドルを投じたが、通勤客はどこにいるのか?

  • 巨額投資と期待外れの利用者数

    • インド政府は過去20年間で約260億ドル(約4兆円)を投じ、約20都市で計900km以上の地下鉄網を整備した。

    • しかし、デリーを除くほとんどの都市で、実際の利用者数は事前の予測を大幅に下回っている。

  • ムンバイの事例(アクアライン)

    • 昨年開通したムンバイの地下鉄3号線(アクアライン)は、1日150万人の利用が見込まれていたが、実際にはその10分の1程度にとどまっている。

  • 利用者数が伸び悩む主な理由

    • 運賃の高さ: 既存の近郊鉄道(スバーバン・レール)やバスに比べて運賃が高く、低所得層にとって日常的な利用が難しい。

    • ラストワンマイルの欠如: 駅から最終目的地(自宅や職場)までの移動手段(歩道、バス、シェアサイクルなど)が未整備で、利便性が低い。

    • 接続の悪さ: 既存の鉄道網や他の交通機関との乗り継ぎが考慮されておらず、シームレスな移動ができない。

  • 「地下鉄への過度な依存」への批判

    • 専門家は、すべての都市に高コストな地下鉄を作るのではなく、バス高速輸送システム(BRT)やライトレール(LRT)など、より安価で柔軟な選択肢を検討すべきだったと指摘している。

  • 今後の展望

    • 地下鉄を「単なる点」ではなく「ネットワーク」として機能させるためには、都市計画全体の見直しや、他の交通機関との統合、そして運賃設定の適正化が急務となっている。

 

街の雑感

インドはもともと一つの文化圏だったところが二つの国に属しているケースがあって、東側のベンガル、西側のパンジャブあたりが代表的だ。ベンガルに属するこの二つのメガシティは異なる点も多いが、言語自体が同じで、気候や食文化は割と共通している。ぜひエビのカレーと、ビリヤニは食べてみてほしい。

4月に行くのはほぼ自殺行為といった感じで、明らかに体温より暑い高温多湿な気候だったので、観光はあまり気が進まなかった。コルカタのハウラー橋とかマーケットの見学は最小限にしたが、メトロの終点にあるダクシネーシュワル寺院は優美な建物で、川沿いのガートで沐浴している姿もあり(Considered the twin of Varanasi by localsらしい)、見応えがあった。
寺院は中に入るのにスマホやらカバンを預ける必要がある。裸足になって中に入るまでにかなり並び、さらに入っても建物の神様を拝むのにまた30分くらい並ぶような感じで、なかなかの人出だった。

Dakhineshwar Temple photo by Knath

地下鉄の終点が最寄り駅で、駅からこの寺院までは歩道橋が真っ直ぐに伸びていて、その橋の中にもびっしり花売りや土産物の店があるのだが、それでも歩道橋は歩きやすく、まあ昔は地面の参道だったのだろうがこっちの方が快適だもんな、とインドの進歩を思う。

コルカタはまあサダルストリートで日本語で声をかけてくるような人に注意しておけば、インドの中では比較的初心者にも優しい街だ、と書いているBlogも見かけた。泊まったところはリトル・バングラデシュの界隈だったらしく、ベンガル料理屋にはバングラデシュのユニフォームを着た人々でいっぱいだった。


ダッカはなかなか高密度な街で、どこも高層の建物が並んでいる。高度経済成長中、という感じだ。初日は地下鉄に乗って空港の北側あたりのウッタラと呼ばれる場所に泊まり、そこから街の中心部を目指したが、バスの行き先がわからずなかなか難儀した。

喧騒と混雑でなかなかタフな環境だが、大都会なので金さえ払えばいくらでも快適な環境はあるようだ。
観光的にはオールドダッカを少し散歩したくらいで、ダッカのテロ事件があったグルシャン地区の洒落たカフェや、空港近くに最近オープンしたCentrepointというショッピングモールで深夜便を待っていた。
夜に一本くらい映画を見ようかなと思ったら、7時ごろですべて上映が終わってしまうらしく空振りになったが、ショッピングモールのフードコートはアフガン料理とかメキシコ料理のビリヤタコス専門店なんかまで入っていて、なかなかのバラエティだった。

ダッカのショッピングモール、フードコート

ダッカの空港は入り口でひどく並んでいて空港に入れないと言う話を聞くが、このショッピングモールで時間を潰し、10分ほど歩いて空港の敷地に入り、最も北側(市内から来たら最も奥にある方)の入り口から入れば特に混雑はなかった。空港自体はターミナル1と2に分かれているが、内部的には一つだ。ターミナル3がほぼ出来上がっているようだったので、数年するとこっちに移るのかもしれない。

ところで、バングラデシュは2024年に学生デモから始まった政変があって、今年の2月には総選挙が行われた。
この間ミャンマーのように内戦にならなかったのは幸いだと思うが、壁や高速道路などにはまだデモの呼びかけなどがペイントされたものが残っていた。
旅行中、一枚だけ2025年発行の新札を手にした。今までこの国のお札はすべて「建国の父」ムジブル・ラフマンが描かれていたが、新札からはこの肖像が消えた。デモにより退陣したハシナ首相はムジブル・ラフマンの娘で、アワミ連盟の指導者を引き継いでいたので、やはりこのイメージは外したかったということなんだろう。それなりに社会が変わったことを思わせてくれる。

上が新札、下が旧札。どちらも使える

インドは看板などに比較的英語が併記されていたが、バングラデシュに入ると駅の表示なんかもベンガル語だけになって、ちょっと困ることもあった。しかしその分困っている外国人には手を差し伸べてくれる人たちも多く、大いに助けられた。
コルカタのインド人は比較的厳しい顔をしている人が多かったが、バングラデシュはなぜか優しい表情のように見えたのが不思議だった。


今回は上海で銀行に寄る用事もあったので、キャセイの香港経由上海便と、春秋航空で帰ってきた。
免税手続きを不便にしたり、JRパスを値上げしたりと、インバウンドにうんざりしている日本に比べ、中国は最近免税のやり方を改善したりと、比較的旅行者を呼び込もうという施策が増えてきている。今回の宿は海外からのお客も結構多いようだった。
上海のローカルな麺と小籠包を食べて、ほっと一息。銀行の窓口はなんと日本語も英語も話す人だった。ありがたいが、そこまで勉強しなきゃいけないのかと、少し遠い目になった。

小籠包と葱油拌麺、21元

インド北東部紀行

インドの山奥 でんでん虫


(こちらから続きます)

インパール空港前の大通りまで出て、乗合のオートリキシャで街の中心へ向かう。
第一印象は、なんだかタイとかカンボジアの地方みたいな感じだなというものだった。
最初は50ルピーと言われていたが、30ルピーとなり、20ルピーを返してくれる。こんなインドもあるのか。

インパールの街中はメイテイ族(マニプル人)が多数派で、確かに日本人と近い顔つきの人たちが多いが、女性の民族衣装はサリーが多く、ちょっと不思議な感じがする。経験的に、各国の少数民族の若い女性は結構きちんとした英語を話すことが多いが、宿の人も聞き取りやすい英語を話した。
インパールでは商店もレストランもなぜかお釣りを多く返されるということがあって、思わず声をかけてしまったのだが、英語でちょっとした意思疎通をする分には全く問題がなかった。
ちなみにインパールの次はアッサム州シルチャルという街に向かったのだが、アッサム州に入るとベンガル語かアッサム語のようで、水と言ってもあーパニかみたいな反応で、ヒンディー語話せないの?と聞かれたりして、ヒンディー語が共通言語としてローカル言語の上位にある感じを受ける。

シルチャルはベンガル地方から平野でつながっているので、人の移動も多いのだろう。人の感じはインパールよりもコルカタに近い雰囲気を感じる。一方でインパールのマニプール州はなんでインドなんだろうかという気もしたが、マニプール州の博物館はヒンズー前、ヒンズー後と歴史を分けていて、この地の王国が基本的にヒンズー教を受容しており、インドとの文化的な連続性をもたらしていることが大きいように見える。
とはいえ、宮殿の狛犬というか神獣はミャンマーで見たものにそっくりだし、インパールで付き纏ってきた人にここの宗教はなんなのと聞くと、サナマヒ教だと言っていたので、独自性はなかなか強そうだ。

そしてインパール盆地を後にして山道に入ると、Kuki Villageと書かれた看板が出てきて、十字架を掲げたキリスト教会が目立つようになる。ざっくり街の人はヒンズー教、山の人はキリスト教という違いがある。別の日、シルチャルからトリプラ州のアグラタラという街に鉄道で抜けたが、こちらも山間の駅からはモンゴロイド系の人たちが多く乗ってくるのがなかなか興味深かった。

まあ要するにインドは多様な訳だが、それが民族グループ間の軋轢につながっている面もある。
コルカタの灼熱と混迷から来ると、インパールは高原の涼しさに迎えられ、街も一見平和的に見えるのだが、宿の人から、Curfew(外出禁止令)が夕方5時からですよ、と言われて、現実に引き戻される。
訪れた一週間前にもメイテイ族の子供二人が爆弾で殺される事件があり、抗議活動が暴動化しており、空港前の道路も封鎖されたりしていたらしい。動画を検索すると色々出てくる。


苦労して入ったものの、あっさりとインパールの滞在を終わらせ、いよいよ山越えをしてシルチャルへ向かう。
道が悪いので、バスではなくジープの乗り合いがこの区間では活躍している。朝の8時くらいに出発し、大体夕方4時くらいにシルチャルの手前の街に着いた。

ジープの運転手は道が悪くなったり、牛がいたりするところはこまめにシフトダウンして丁寧な運転だ。昔会社で毎日日報を書かされて、その日の仕事が遅れた原因があったら書くというものがあったが、インドであれば、障害:道にいる牛、と書きたくなるなあ、などと考えていた。

途中に現れる鉄道橋は完成していた

 

その後はオート三輪に乗り換えてシルチャルの街に着く。ホテルは街中に山のようにあり、まあ問題ないなと思っていたら、外国人はどのホテルも宿泊を拒否される。
どこから来た?と聞かれてインパールからだと答えると(まあ厳密には嘘ではない)、鍵を渡されて普通に部屋に案内されるが、その後チェックインの際にパスポートを出した瞬間に宿泊を拒否される。

後になって調べるとこれもインド地方都市あるあるらしいのだが、インド初心者にはハードルが高い話だった。

大抵が申し訳なさそうなのだが、一部は嘘をついたり、人を攻撃してくるタイプの対応もあり、難儀する。インドは中南米のように暴力的な怖さを感じることは少ないが、嘘をついて場を納めることに関してはあまり罪悪感を持たないのか、なかなか色々と興味深い体験だった。
まあそれじゃあということでインパールの人間だと言ってみたり、君の友達の名前で泊めてくれよ、500ルピー渡すからと交渉もしてみるが、うまく行かない。

仕方がないので、MakeMyTripというインドの宿泊サイトで予約してそこに行ってみることに。結果は、予約があって支払い済みでも泊まれなかった。無駄な金が飛んでいく。
どこなら泊まれるのか教えてくれと言って紹介された3000ルピーの宿ですら拒否されて、次がダメなら鉄道駅だな、明日の切符を見せてホームにいよう、もしうまく行けばリタイヤメントルーム(インドの大きめの鉄道駅にはリタイヤメントルームというのがあって、簡易的な宿泊ができる)だなと腹を括る。

結局一番最初に尋ねたホテルに戻ったらフロントが別の人で、もう一度聞いてみたらなんとOKが出た。いや、まあ予算の倍くらいだったが泊まれるだけでありがたい。
さっそく宿の部屋からMakeMyTripに電話して無事返金に漕ぎ着け、やれやれ一段落となった。


そして今回はもう一箇所、トリプラ州のアガルタラというバングラデシュ国境の街に泊まったが、ここはなんの問題もなくホテルにチェックインでき、街もそれなりにコンパクトで、シルチャルの疲れを癒してくれた。
このトリプラ州、インパールの博物館で見た古地図で見ても、歴史的に一つのまとまりを形成している時期が長く、アガルタラの街はインパールのように中心に王宮があり、街の造りがよく似ているなと感じる。それもそのはず、イギリス独立時のインド北東部はインパールのマニプール州とこのトリプラ州が藩王国で、その他はイギリス直轄領のアッサム州だけだったらしい。
ここはもう少し滞在しても良いかなと思いつつ、翌日にはバングラデシュへ抜けてしまった。

インド、インパールへの道

旅行好きなのは間違いないのだが、インドにはなかなか食指が動かなかった。旅行で人生を変えたいと思うことはあんまりなかったし、ニューデリー駅の跨線橋が渡れないとか、まとわりつく詐欺師の話を聞いて、そこまでして行かなくてもいいかと思っていた。そもそも私はお腹が弱いのだ。

ところが、一時期なんでも中国だったように、ここ最近はインドの経済的な発展が話題になったり、アメリカの会社の仕事だと思っていたら同僚も上司もインド人やバングラデシュ人になったりと、身近にインド的世界が迫ってくるようになってきた。
旅行面でも、空港から地下鉄に乗れば良いとか、UPIの決済の話、鉄道もアプリで簡単予約など、インフラが全体的に整ってきているという話を小耳に挟むようになってくる。
インドが呼んでいるのかもしれない。

 

以前タイからミャンマーへ陸路で抜けてから、インド〜ミャンマーの方もいつかは行ってみたいなと思っていたが、5-6年前ころからちらほらと国境を陸路で超えた人の記事を見かけるようになった。その頃私はメキシコにいて、インドに行くのはかなり遠かったので、どうしたものかなあと考えていたら、あっという間にミャンマーがきな臭くなり国境沿いはそれどころではない感じになり、インド側も一度は外国人に解放されたが再び入境許可が必要になってしまった。

とはいえ今は日本にいるので、インドはそんなに遠くない。このタイミングを逃すとメキシコからの航空券になって非常に高額になるので、家族には申し訳ないが一人旅に出ることにした。

 

AIに書かせた地図

ミャンマーの隣はインドの北東部と呼ばれる地域だ。第二次大戦中の日本軍の無謀な意思決定としてしばしば語られるインパール作戦のインパールは、そのエリアを構成する8つの州の州都になる。
私は割に境界みたいな場所に興味があって、このあたりはちょうど南アジアと東南アジアの境だと言っていいだろう。とはいえ境界は明確に国境線上にあるという感じでもなく、インド=ヨーロッパとチベット=ビルマの言語的な境はインドの中にあり、この北東部のエリア内になんとなく存在するようだ。
インパールの旅行記は、しばしば街の人たちが日本人のような顔立ちだと書く。
ミャンマー側が東南アジアで、インドに入ったら我々がなんとなく想像するコッテリしたインドになるというわけではない。さらにいうと、ミャンマー側にもロヒンギャと呼ばれる人々がいる。

 

アッサム州の川沿いの平野を除いて、この辺りは山がちな地形で、だからこそ山越えのインパール作戦は大変だったんだと思うが、実は今ここを横断してアッサムからインパール経由でミャンマーへ繋げる鉄道が計画されている。既にKhongsang/コンサンという街までは2022年に開通していて、インパールまでは工事中だ。
正直なところ中国ラオス鉄道よりもロマンを感じるので、最初はこの鉄道に乗ってやろうと思ったのだが、よくよく調べると民族紛争の関係で一度は開通した旅客列車も、マニプール州内は運休中らしい。
鉄道が完全につながったらまた乗りに来たいが、山道を工事の状況なんかを見がてら通ってみるのも悪くないなということで、コルカタに入ってからインパールに飛び、そこから陸路でバングラデシュのダッカまで行ってみることにした。

 

PAPがないと入れない

という感じで大体のルートは見えてきたが、問題はマニプール州の入境許可で、Protected Area Permit(PAP)というものを取得する必要がある。
最近リー・クワンユーの本を読んだら、インドのお役所仕事の酷さについて何度も言及していたのが印象的だったが、このプロセスもそんな感じを思わせる。

 

まずはこのPAP、入境の8週間前に提出する必要がある。申請はFRRO(外国人登録局)のWebからできるのだが、申請時にはインドに滞在していることが必要・・・基本的にはインドの中長期在住者のみを想定しているらしい。ちなみにサイトはインド以外のIPアドレスからはアクセスできず、アカウントを作成するにはインドの携帯電話番号が必要となる。
1週間ほどインドを個人旅行するような人間は、全く想定されていない。うーんと思いつつも、とりあえず期間厳守の日本人として、8週間前に間に合うように提出してみた。システム的なハードルは、VPNとかSMS受取サービスなどを駆使して乗り越えることができる。申請してから特に反応がなかったが、10日ほどして申請は却下されました、という通知が来た。

どうすんだこれ・・と悩んだが、色々調べると、このPAP、外国人はインドの大使館とかでも受け付けているようだ。今回の却下は役所的には管轄外の拒否ということだろうと最大限好意的に解釈し、実際にインドに入国してから、このシステムでもう一度申請し、その申請書をコピーしてインパール行きの飛行機に乗ってしまおうということにした。

IT大国インドだけに申請システムは意外に良くできていて、記載項目はたくさんあるのだが下書きとして保存しておくことができる。インドの入国日が今日以前の日付しか選べない他は、事前にすべて準備ができるため、写真とかPDFを一通り事前にアップロードしておき、インドのコルカタで日付だけを直して申請するだけの状態にしておいた。

 

そして無事インドに入国。暑さとカオスな交通渋滞にハマりながら、コルカタの観光ついでにコピー屋とかインターネットカフェを探し、店のPCを借りて申請システムにアクセスしてみると、なぜか今まで使っていたものと異なる画面が表示され、以前の申請データを読み出すことがうまくできない。
どうもネットワーク接続が遅いPCは簡易画面みたいなものが表示されるらしい。冷や汗をかいて、ビジネスセンターとかを探そうかと思ったが、既に夕方を過ぎている。これはもうタイムリミットかもと思いつつ、結局ホテルのWiFiを使ってスマホからPC版にアクセスして申請、申請画面をPNGで保存することができた。
このPNG画像を近所の店で印刷してもらい、夜の8時になんとか書類が整う。

PAPの一部

 

翌日のインパール行き飛行機は13:50分発だ。コルカタ空港の近くのヒンズー寺院を見学して時間を潰し、早めにチェックインしてしまえば空港のチェックは申請中で逃げ切れるだろうと思っていたら、なんと当日の朝9時に、申請は処理中ですというステータス通知のメールが来た。
前回は10日かかったのに、なんで今回はこんなに素早いんだと思いながらその後の動きを確認していたが、飛行機のチェックインまでに申請却下扱いにはならなかった。やれやれ。

 

第一関門のコルカタ空港IndiGo国内線チェックインは、一切この申請の確認はなく、はいこれ航空券、と渡される。
航空会社のサイトにも一応外国人は許可証取ってねみたいなことは書いてあるのだが、カウンターで確認されないのはある意味で新鮮だ。例えば中国の航空会社だったら、許可証がなかったら絶対に搭乗させないだろうなとふと思い、こういうところはインドなのかなあ、と思った。

そして飛行機はインパールの空港に着陸。
空港の建物は外国人とインド人が別の入り口になっており、一瞬心が迷いかけたが外国人の方へ向かう。もう一人カナダのパスポートを持つ人が手続きをしていたが、他のインド国籍の人と合流して去っていったので、この地に関係がある人のようだった。
申請書を見せたら、うーんという顔をされて焦ったが、どうも申請書の1枚目しかコピーしていなかったからのようで、もう一度申請画面にログインして複数枚の申請書をダウンロード、印刷してもらう。
色々と台帳のようなものに記入され、インパール空港入境みたいなメモのポストイットをパスポートに貼られて、これ出境するときに渡してね、と言われる。
予約のホテルに電話をされたりして確認されるが、ホテル側は一応きちんと対応してくれたようで、無事これで手続きが終了、空港の外へ出ることができた。

中国との終わりなき戦い

2008年、香港から北京までバスを乗り継いで旅をした途中で、武漢に立ち寄った。その時、なんとなく銀行口座を作ってみたことが、私と中国との長くて終わりのない「戦い」の始まりだった。

当時はまだ、旅行者でも日本の電話番号とパスポートさえあれば簡単に口座が作れる牧歌的な時代だったが、今や中国は、圧倒的なテクノロジーの利便性と管理社会が表裏一体となった「システム」へと変貌している。その進化の過程で鳴り響くアラートに翻弄され続け、結局は何度も現地へ足を運ぶことになった。

口座を作ったものの、オンラインバンキングや決済サービスが普及しSMS認証が必須になってきたため、中国の携帯番号を取得した。しかしその後も、武漢と上海で別々に作った口座の名前が漢字とローマ字で不一致を起こしたり、パスポートを更新するたびに「新旧の番号が同一人物である」という証明書を日本大使館でもらって窓口へ行かなければならなかったりと、手続きのハードルは上がる一方だ。
今回は、携帯の名義変更に武漢へ向かった。昔は道端で簡単に買えた他人名義の古いSIMカードを使い続けていたら、不審回線扱いとなってしまっていたのだ。AIですら「難しい」と断じるような手続きはなんとか完了させたものの、次はキャッシュカードの期限が迫っているという具合に、次から次へとイベントが発生して終わりが見えない。


こう話すと、普通の人にとっては非常にネガティブな話に聞こえるかもしれない。しかし、社会の観察が趣味の人間にとっては、なかなか興味深い体験になる。最近の中国では、銀行や携帯会社、アプリ、航空会社などの窓口担当者のレベルが、以前と比べて向上してきていると感じる。日本に住んでいるとピンとこないかもしれないが、私の本拠地であるメキシコや他の国で受けた対応の中には、解決を放棄されたり、その場しのぎの回答で堂々巡りになったりするケースも多々あった。

ちょっと前にアメリカのeBayで買い物をした際も、一人目の出品者は全く送ってこず、二人目は配送方法の指定を守らずに関税の負担が変わってしまうなど、久しぶりにひどいレベルの対応を味わった。今や中国のAliExpressや京東などでは、このような問題に直面することも少なくなった。いつの間にか、中国系のサービスの方がよほどまともになってきているのではないかと感じることがある。

もちろんこれらは非常に個人的な体験であり、それを一般化して話すのは微妙なところだが、何度も同じ銀行に通ってみると、全体として感じる印象はある一つの方向性をもっている。中国では、お上が躊躇なく後付けでルールを変えていくし、人は相変わらず表情豊かにメンドクセというか困ったなあという本音がダダ漏れするのは以前と変わらない。しかし最近は、問題に対して言われたことだけをこなすのではなく、相手の立場を想像して全体的に解決してやろうという対応が増えてきたように思う。


今回は、メキシコで知り合った友人と天津で久しぶりに再会した。いろいろと想像して、車はテスラかなと思ったら、案の定テスラだったので思わず笑ってしまった。購入から5年経つので、近々中国メーカーのEVに乗り換える予定だという。彼は以前、不動産関連の金融会社にいたので状況にも詳しく、不動産の価格は以前の3分の2くらいになったと教えてくれた。住宅への固定資産税がないため、どうしても投資の対象になりがちなのだという。
自宅の地下に専用のジムを作ってしまった彼の暮らしぶりを見ていると、中国の景気の悪さは微塵も感じられない。しかしその一方で、若者の生活の厳しさや、実家の経済力によって生じる不公平感が、社会に重くのしかかっていることも確かなようだ。

天津だと、子供は北京の大学とかに行かせたい感じかねえ?と聞いてみると、北京はちょっと政治的すぎるから、中国の南側の都市がいいんじゃないかなと思うよ、と少し意外な言葉だった。
「公式の言葉」を話す政治的なところからは距離を置くことが大事だと思う。北京は半分くらいの人間がそうだが、南は2割くらいになるから、深圳とか広州のような南がいいんじゃないかな、とのことだった。


北京では泰康美術館を訪れた。劉小東の展示で流れていたショートフィルムを眺めていると、そのカメラワークと人物の切り取り方に、ふと既視感を覚える。これは賈樟柯かなと思ったら、やはりその通りだった。彼の作品は大抵観ているつもりだったが、劇場公開もされないようなショートフィルムに、まさかこんな場所で出会えるとは思ってもみなかった。二人のつながりについては知らなかったのだが、賈樟柯が劉小東のドキュメンタリーを撮っていたらしい。

年齢を重ねてくると、自分が好きになるものや興味を惹かれるものは、実はどこかで繋がっていることに気づく。そして、それをなんとなく「匂い」で嗅ぎ分けられるようになっていくのだなと思った。

 

今回中国旅行で新たにインストールしたアプリたち
こう見ると、中国のオンラインサービスも概ねいくつかのグループに属することが分かる

アリババ系のAmap、Qwen、飞猪
元テンセント系の美団、JD
百度系の萝卜快跑、Trip.com
网易系の有道翻译官

韓国でGalaxyのバッテリー交換をしてきた

ドコモ版のGalaxy S22のバッテリーがだいぶへたってきて、最大容量が80%を下回るくらいの劣化となってきた。端末は3世代前といってもフラッグシップ機なので、まだまだ十分な動作性能だ。バッテリーだけ交換するかと思い調べてみると、街角の修理屋で大体1万円くらいのよう。ただしこのご時世、バッテリーはなるべく純正品を使いたいところではある。

SamsungのGalaxyは、ショールームを兼ねたショップが原宿にあるのと、全国主要都市のドコモショップのGalaxy専門コーナーで店頭修理をしてくれるらしい。最近大阪にも店ができたのだが、春先にはまだ店がなかったので、京橋にあるドコモショップに併設されているGalaxyの専用窓口に持ち込んだ。

きちんとソフトウェアで診断をしてくれ、充電サイクルの回数がかなり多いですね、ということで交換を頼もうと思ったが、キャリアの端末保証に加入していない場合は、最低でも2万2千円からと言われ、ちょっとたじろぐ。
携帯ショップは店頭だと何かと価格が嵩むようになっていて、どんな修理でも故障受付基本料が1万ほどかかり、それプラスバッテリーの交換代とのこと。

日本の場合、端末はキャリアが販売するという建て付けなので、修理窓口もキャリアになるわけで、色々な大人の事情があって、原宿のGalaxyショップでもそれぞれキャリアが決めた修理料金になるような書き方になっている。

もし開けてみて基盤やらが壊れている場合は、さらに数万の上乗せがある可能性も承諾してくださいと言われ、さすがに即断ができずトボトボと家に帰ってきたのだが、さらに調べてみたところ、どうも韓国のSamsung Storeには大抵サービスセンターが併設されていて、そこで修理をしてくれるらしい。しかも海外の端末を持ち込んでサービスを受けている人もいる。

韓国Samsungのサービスセンターのサイトでは、チャットで料金をなんとなく調べることができる。韓国版Galaxy S22のバッテリー交換は47,500ウォンと出てきて、5千円ほどで純正バッテリーに交換してくれるらしい。これは期待できる。

LCCのピーチが金浦便の増便記念にセールをしていて、1万7千円の航空券と5千円の修理代を足しても2万2千円ということで、ソウルへ向かうことにした。最近、大阪からは東京よりもソウルが安いことが多い。

 

韓国でのSamsungのプレゼンスはまあ傍目から見ても巨大で、サポートもかなり手厚いようだ。さらに韓国人のパリパリ精神に合わせて、できるだけその場で修理するというのが徹底されているらしく、Galaxyが携帯マーケットで高いシェアを占めるのもまあそういう要因もあるのだろう。

Samsungのストアは、ソウルだったらカンナム、ホンデといった観光地の他、永登浦、江西あたりにも店があるようだ。そんなわけで今回はホンデに宿を取り、ヨイドのカンジャンケジャン屋でカニをしゃぶって、翌日にホンデのサムスンストアへ行った。もう一等地にバーンとあるので、すぐに場所はわかる。

4Fの受付でバッテリー交換、というと受付票を渡され、カウンターで修理を依頼する。カウンターの上には道具が置かれており、その場で交換してくれるようだ。30分ほどで、64,000ウォンくらいかもと言われたが、まあそれでも日本よりも安いので、お願いした。

実際は20分ほどで名前を呼ばれ、値段も45,910ウォンに税金で合計50,500ウォンとなった。Revolutのカードで支払い、明細には、輸出用端末の修理と書かれていた。最後に修理担当者の名刺とクリーナーの粗品を渡され、なかなかちゃんとしてるなあと感心した。

Samsung端末のシェアがそれなりにあるアメリカでも、ここまでのクイックサービスはやっていない気がするので、韓国はかなり特殊な状況だと思うが、メーカー側の修理・サポートレベルがきちんと商品価値につながっているのは、なかなか良いサイクルだなと再認識させられる。

とにかくできない理由を探して断りたがる日本のサービス感覚に慣れた身からすると、海外版でもなんでも全く拒まず対応するところは、正直なところ驚きが先に立つ。
日本のキャリアショップもまあ頑張ってはいるのだろうけども、もうあらゆる対面作業をしたくない感がものすごいので、どこまで顧客満足につながっているのか、難しいところだ。

 

韓国は7年ぶりだったが、無人店舗や格安コーヒー店がやたら増えていたり、素早く変わる感じは健在だった。そして、メガコーヒーのグレープフルーツエイドが美味しい。
相変わらず食事の量は多めで、ラーメンを食って帰るようなつもりで辛いちゃんぽんを頼んだら、海鮮も麺もかなりの量で、しまった一人前が多いんだった、と汗をかきながら思い出したのだった。

それにしても、LCCの日韓線は、どの客も異様に旅慣れた感じでリピーター臭が半端ない。女性一人とか、母娘のペアとかそういう層も目立つ。
金浦空港は羽田からだとJAL/ANAが飛んでいて、まだ一定のビジネス需要があるのだろうが、大阪はピーチ以外は韓国エアラインのみとなり、ビジネス風の客が全く視界に入らないのも興味深かった。バンコクとかシンガポールあたりのLCCだと、仕事なのかなんなのか得体の知れないオッサンがもう少しいる気がする。

先月からPayPayも韓国で使えるようになったので試してみたが、これがなかなかひどいレートで、普通に両替屋かマルチ通貨カードのRevolut、Wiseを使うのがよいと思う。
Wowpassも妻が持っていたので借りてチャージしたが、一般的な外国人が行くような店は普通に海外発行のカードが使えるので、国内カード扱いのWowpassじゃないと、とそこまで神経質にならなくてもいい気がする。

ところで謎の楽天銀行銀聯QRもZeropayが使えるようだが、なぜか二次元バーコードのみが表示される仕組みなので、エラーが出る。それ以前に楽天モバイルのローミングがびっくりするほど不調で、メキシコではなんの問題もなく1年以上使えていたのに、携帯先進国の韓国でつながらないのはちょっと不意をつかれた。当たり前だが、QR決済はインターネット接続がないと難しい。

Paypay 1JPY = 8.974 KRW
Wowpass 1JPY = 9.308 KRW
Revolut 1JPY = 9.348 KRW
当日仲値 1JPY = 9.40 KRW

Browser Useから何となく思ったこと

年末くらいから急にAI界隈で話題になった、Browser Useを試しているのだけども、なかなか興味深い。技術的な話だけで終わらず、今日はDeepSeekのおかげでアメリカの半導体銘柄が大幅に下落するなど、へえ、そこまで行くのか、という感じもある。

なんというかこの世界、本当に日進月歩という感じで、「AIが考えてブラウザを操作する」というコンセプトだけでも、今年に入ってByteDanceからUI TARSが出て、OpenAIからOperatorが発表される、という感じで、同じタイミングでみんな同じ方向を向いているのが興味深い。
AIモデル自体の能力が出るたびに大幅に向上、というところが一段落してきていて、じゃあまあ、認識する→判断する→実行するというサイクルで色々やってみるか、という感じなのかもしれない。

■ Browser Useを使ってみる

Browser Useは通常Chromiumを起動させて色々と操作していくのだが、このブラウザは変更可能だ。そうすると、いつも使っているChromeやBrave Browserなどのブラウザを指定して、各サービスにログイン済みの状態にできる。
私はMoneytreeという口座アグリゲーションサービスを使っているのだが、銀行の接続期限が短く、数ヶ月に一度認証をやり直さなくてはいけないのが面倒くさい。(安全のためというのはわかるのだが)
で、今回これをBrowser Useで自動化してみた。銀行のログイン時にはSMS認証が挟まるものの、AndroidでSMSを受信するメッセンジャーはブラウザ上でも確認できるように設定できるので、別タブを開いて届くSMSの番号を読み取り、元のタブのフォームに数値を入れるというSMS認証もさらっとクリアできて、ちょっと感心した。

話が変わるが、以前私はネットをひたすら検索して結果を入力するという仕事をしていたことがある。その中で印象深かったのが、最近亡くなった人の場所、時間、死因を調べるというタスクで、ソースは報道各社のサイトかWiki、公式サイトに限るというものだった。
このタスクもやらせてみたところ、ガーっと片っ端からGoogle検索し、サイトの真偽性を確認し、必要な情報があるかというのをほぼ人間と変わらない感じでタスクをこなしていた。まあAIに代替されてめでたい。

とは言うものの、問題は、有料のAPIを叩きまくるので結構金がかかってしまうことだ。私はAnthropicのClaude 3.5 Sonnetを使ったが、20-30ページほど辿って、それぞれ画像の解析やらをAPIでAIに送るので、大体1タスクにつき$1.5-2ドルくらいかかる。
そんなに難しくない、銀行口座の接続とSMS認証のチェックなどは、大体ページ遷移が10-15回ほどだが、これは$1も行かないくらいだった。

■ ローカルLLMがうらやましい

こうなると、日常的に使えるものではなく、ちょっとコストが合わない。
では、このAPIで投げているところを自分のコンピュータにやらせればいいじゃないかということになる。これをローカルLLMといい、やり方は色々あると思うが、私はMac上でOllamaを入れて試してみた。

考えたら当たり前なのだが、なぜ外部のAPIを使うかというと、この処理が半端なく重たいからだ。
AIの演算はCPUではなく、GPUをたくさん並列に並べて演算させる方が早いらしい。GPUコア数が重要だ。
さらに、AIモデルはVRAMことビデオメモリに読み込むのがよい。ビデオメモリの容量があればあるほど、高品質なAIモデルを利用することができる。
最後に、このGPUとVRAMの間のメモリ帯域幅も重要で、まあDDR3とかDDR4とか呼んでいた方は通常のメモリだが、GDDRの規格が高い方がメモリ帯域幅が広い。

一般的なAI用には、そこそこのPCに狂ったように高いビデオカードを可能なら複数枚載せて、電源1000Wとかで構成するようだ。で、このビデオカードでほぼ一択と言ってもいいのが時価総額世界一のNVIDIAだ。なぜNVIDIAが売れるかというと、NVIDIAでしか動かないCUDAというソフトウェア基盤があり、これに最適化するのが圧倒的なメリットになり、デファクト・スタンダードになっているからだ。ちなみに、DeepSeekはここを使わず、直接ハードウエアに近いマシン言語レベルで最適化して非常に高い効率をもたらしたらしい(記事)。

■ そして新マシンが欲しい

私は中古で買ったM1 Macbook Airを使っていて、メモリが8GBという吊るしのモデルだ。
今はMacとWindowsのNUCしか持っておらず、正直もう自作は引退で、タワー筐体とかを買いたくないし、ファンが盛大に回るビデオカードをピカピカ光らせながら使うという年齢でもない気がする。

そうすると、日常的にも使えるMacがいいなということになるのだが、当然安くない訳だ。
比較のため、さっき話したGPUコア数、ビデオメモリ、メモリ帯域幅とMacのモデル別に列挙してみよう。

機種名 GPUコア数 メモリ メモリ帯域幅
M1 Macbook Air(使用中) 7 8GB 68.25GB/s
M2 Max MacStudio 30/38 32/64/96GB 400GB/s
M4 Mac mini 10 16/24/32GB 120GB/s
M4 Pro Mac mini 16/20 24/48/64GB 273GB/s
M4 Max Macbook Pro 32/40 36-128GB 410/546GB/s

こう見ると、なんで最近の上位機種は高いのか、というのが少しわかった気がする。できればMaxクラスのマシンで、40GBくらいまでのモデルを載せられるメモリも欲しい。
Macのメモリはユニファイドメモリといって、CPUとGPUのメモリを共有するような仕組みがあって、メリットであるのだが、CUDAには当然対応しないので、コストパフォーマンスでは当然劣る。一方で、静かで電源効率が高く、メンテナンスフリー(自分で拡張ができないことを美しく言い換えた言葉)なのは捨てがたい。


この20年、動画は編集はおろかYouTubeすら見ない、Adobe系のソフトは一切使わない、ゲームはしない、サーバーはクラウドという状況で、高性能なPCというのが自分のニーズから全く当てはまらない時代が続いてきた。
現在の高性能なマシンでは、ちょっとアプリを起動してWebを見たり、オフィスワークやビデオチャットなどをするようなレベルでは、たいていのコアCPU/GPUは寝ているので、真価を発揮することはできない。M4 Mac miniで遅いと感じる人はほとんどいないだろう。
しかし、こんなところで、一周回ってまた高いマシンが欲しいなと思うようになるんだな、というのは不思議な気分だ。

それにしてもこのAIの世界、本当にアメリカと中国なんだなというのを痛感させられる。
APIサービスとしては、OpenAIとAnthropic、Azure OpenAI、Geminiあたりでアメリカ企業が圧倒的な感じだが、ダウンロードして使えるモデルでは、DeepSeekや、Alibabaが出したQwenが中国、llamaがMetaでアメリカという感じで、半々くらいのような気がする。

毎日のように何か新しいものが出てくる世界はなかなかすごいが、あれ、ブラウザの自動運転ってMicrosoft Power Automateでもできなかったかなとか、流行りものじゃなくてもいい気もするのだが、熱狂を垣間見た気分になれるのはメリットの一つなんだろうと思う。