物価高をスイスで考えた

NYに続いての物価高見学記パート2は、世界一の生活コストで有名なチューリッヒだ。
スイスは昔からなんでも高かったが、最近のレートで円換算すると本当に大変なことになっている。

なんの変哲もない街の写真だが、車の広告を見て欲しい。

スイフトがCHF19,990からということは、円換算で大体350万からということだ。値段を書くということは、それなりに価格に自信があるからなんだろうが、さすがに生活の感覚としては、1フラン100円くらいで物価が均衡するんじゃないかと思う。

美術館も大人2人と子供1人で87フラン取られたが、まあ海外のディズニーランド行くのと変わらんか、と納得させるしかない。

スイスは空港の椅子にあるUSBが使えなかった以外、全ての仕組みがよく考えられており、正しく機能している感が強かった。

家は平気で19世紀とかの建物だが美しくリノベーションされ、まあこんなところから文化が生まれるんだよなという感じの圧倒的な豊かさを感じる。平気で田舎町をポルシェとかメルセデスの高級車が走り回っていて、レストランはどこも一番安い一皿で20-30CHFというような物価水準になり、NYのように探せば安い食事もあるという感じもしない。

Andelfingenという、チューリッヒ近郊の街のB&Bに泊まったのだが、110CHF+10EUROのTAXにも関わらず、宿の口コミにはAffordableと書かれていた。普通のホテルは概ね3万円は覚悟しなければならない。

農家がやっているB&Bらしく、朝食で自家製のジャム、ブドウやリンゴジュースが出るのだが、これが美味い。小麦も自家製のものと一緒に売っていたので、そのパンなのかもしれない。

ここにあるようにスイスの農業政策は家族経営中心で、食料自給率も高い。日本と違い食生活の変化に伴い輸入が増えるわけでもなく、小麦と菜種油、畜産という、まさに宿の朝食のような生活をできるだけ自給でまかなっているという感じのようだ。

メキシコで高速バスに乗るとトウモロコシ畑をよく見るし、セルビアのバスでも車窓はスイスのように混合農業で、小麦ととうもろこし、ひまわりの菜種畑という感じだった。しかし、同じトウモロコシを栽培しているメキシコ、セルビア、そしてスイスの農民の待遇は大きく異なるだろうな、と思う。

食生活はあまり変わらないかもしれないが、世界は変化しているわけで、もちろんスイスも現代に生きている。この小さい街の11%が外国人で、セルビア-クロアチア語話者もそれなりにいるというWikiの記述があって、まあ国自体もそれなりに移民が入ってきているはずだが、彼らはどこに住んでいるのだろう、と思った。

格安のアパートのようなわかりやすい外観のものは、すぐに見当たらない。


そして、どうしても比べてしまうのだが、金持ちの数では圧倒的にアメリカが多いはずだ。ただ、アメリカは平均というものの意味があまりない一方で、スイスはもう少し平均的に豊かであるように見える。

スイスには金持ちが多いことくらい誰でも知っているとは思うが、データで見ても、国民のミリオネア率で圧倒的な世界一(14.9%)、可処分所得の貯蓄率も20%近くになり、これはもう全く勝てないなという感じだ。

 

ちょうど2000年から2020年でスイスフランがドル建てで倍くらいになっている。まともな中央銀行と、世界的に有名な銀行制度があれば、誰でも貯蓄もするようになるだろう。
意外に相続税なんかは低かったりするので、日本から見るとなんて間が抜けたニュースなんだと言う気がしたりもするが、この辺は色々と世界の流れなんかにも合わせながらやっているようだ。


一方でアメリカは行くたびに、ここで指摘されているような「金持ち経済」化を感じる。アメリカの貯蓄率は比較的低くて(実は日本よりも高いのだが)、クレジットの借り入れがやたらと多いライフスタイルというのも昔からのような気がするが、同じ金持ちでもスイスとは対照的だ。
表面的にも、アメリカは低所得者層もそれなりにいるので、ダラーショップやら貧乏人から搾り取る金融サービスなど、彼らの生活がスイスのようによく見えないということはない。

関係ないが、最近話題のNISAでアメリカの株式インデックスを買うというのは、こういう経済のところに投資するということなので、それはそれで複雑な気分になってしまう。どうあれ、はやくまともな円のレートに戻って欲しいな、というのが結論だ。



あと昔から不思議なのは、やたらとスイスの状況が詳しく語られるローカルなニュースが日本語で読めることだ。直接民主制のなにかなのかもしれないが、どうしてこんなことにコストをかけていられるのか、というのがよく分からない。
単純に韓国だったらメディアの商業戦略なんだろうし、中国やロシアだったらまあ理解はできる。

記事は旧共産圏のプロパガンダニュース的な匂いもするのだが、さすがにスイスの看板でやっている上、翻訳も自然で明らかに人のリソースがかかっていて、言っていることも比較的フェアに見える。
しかし、そのようなスイスの「正しさ」を、極東の大して理念を重視しないような日本語話者にまで伝えなければいけないのかというのも、一体どのようなモチベーションなのかが気になるところだ。

旅の宿と食事雑感

こちらの記事から続きます)

ヨーロッパからアメリカ経由で戻ってくると、ああ、ファストフードのドリンクカップがデカくなったな、という感じで、明らかに食生活の差を感じて面白い。メキシコはアメリカをさらに悪化させたような感じなので、ソーダファウンテンでソフトドリンク飲み放題というのに体が慣れてしまったが、ギトギト油のフライドポテトやアメリカ中華のオレンジチキンを見ると、ああこっちの世界に戻ってきたなと思える。
食事の時はまあ水を飲んだほうがいいなとか、ちょっと油と砂糖を抑えないとなあと思える。

マイアミの空港は初めてだったのだけど、ジャークチキン、キューバンサンド、エンパナーダ、セビチェとメキシコ以外の中南米フードが並んでいて、人種的にこういう感じなんだなあと興味深い。


ヨーロッパの食費が高い国では、トレイフードと勝手に呼んでいる、平たくいうとIKEAのレストランみたいなところが、大きめのスーパー、美術館、デパートや高速のサービスエリアとかには大抵あるので、それで済ませばいい。子供連れというのもあって、今回も大体そんな感じだった。
特筆するような味というものではないが、まあファストフードよりはローカルで、El Corte Inglésだと一応名物料理は置いてあるし、バルセロナのホステルはアーティチョークの料理なんかが出てきて、ああヨーロッパだなあと思った。

マドリードは知人の家が移民街のようなところにあって、7-8年くらい前にも一度行ったのだが、インド系の倉庫と商店をかねたような店が減って、個性的なレストランやテイクアウトが増えていた。まあジェントリフィケーションと言えばそうなんだろうが、移民の波は力強そうで、一帯はアフリカ料理とインド料理屋が目立ち、前回食べ損ねたセネガル料理にありつけた。西アフリカでは巨大なボールからガッとすくって盛られることが多かったが、ヤッサの盛り方が今まで食べたうちで最もこじゃれていて感心した。

日本並みとまではいかないが、ヨーロッパのスーパーは中食がそれなりに充実しているので、子供はパック寿司とかアロス・ネグロあたりで満足していた。私は3フランのレンジフード、タイレッドカレーでOKだ。スイスはタイ移民が多いのか、妙にタイレストランとタイ料理が目立った。


宿はBooking.comの安いところという感じだったが、アメリカやメキシコと違い、西欧には非営利団体(NPO)がやっているようなホステルがそれなりに存在して、家族向けにも使いやすくなっているので、そういうところに泊まっていた。

オンライン予約サイトに出てくるし、反資本主義とまではいかないが、まあなんかしらの理念があって、一定の質を担保しながら常識的な値段で泊まれることを目指しているような宿が見つかるのは、ヨーロッパらしい。こういう宿は突き詰めると、ネットミームの「北欧の快適な刑務所」に近くなってくるのだが、私は宿にそれ以上を求めていない。

団体を含めてそこそこの人数を受け入れるような施設なので、洗濯とか食事とかは概ね使い勝手が良いし、子供はプールに満足していた。サスティナブルとかをうたうパターンが多いので、食事もまあ多少配慮されている感があるものが出てくる。

単純にヨーロッパ人がケチなのかもしれないが、アメリカとかメキシコは本当にリーズナブルという概念が存在しないので、羨ましいところだ。


セルビアとモンテネグロは、国全体のレストランが肉のグリルに特化しているような感じで、どの肉を食べても美味い。アルゼンチンもレストランに焼き場があったりして、ステーキや肉の盛り合わせが素晴らしいが、セルビアも似たような感じで、まずは盛り合わせ、という感じだ。
皮なしソーセージ的(チェヴァピ)なのとか、ハンバーガーのパティ(プリェスカヴィツア)などもう少しミンチ状のものが多いが、焼きたてのパンに挟んだりして食べると、結構感心させられる。

イタリアのピザとパスタ、トルココーヒー、ギリシャのフェタチーズを野菜にかけるサラダ、ハンガリーのパプリカ肉詰めなどもよくメニューに並んでいて、歴史的な交流も感じさせられる。
世界的にはあまり有名な料理でないと思うが、満足度は高かった。

セルビアとモンテネグロ

バルセロナ空港で、やたらと奥の方にあるベオグラード便のゲートへ進んでいくと、少しずつ周りに違和感を感じ始める。

周りの人が妙にデカいのだ。スラブ系の顔つきと、男性に角刈りが多い感じがロシアっぽいが、高さが違う。どうやら、この辺りの人たちは平均身長が高いらしい。今調べてみると、各国の平均身長ランキングでは、バルカンの国がずらっと並んでいる。

ちなみに現在のセルビア大統領も世界で最も身長が高いリーダーの一人らしく、報道写真の構図としてちょっとおかしい。頭を切っちゃダメだろ。

ヴチッチ大統領(身長2m)france24.comより


数年前、子供の幼稚園で顔を合わせるようになった人が、私と同じようにメキシコ人と国際結婚したセルビアの人で、彼の経営するバルカンレストランに行ってみたら妙に美味しかった、というのが私のセルビアとのファーストコンタクトだった。

その後、子供の学校は別々になったものの「子供が父親側の言語をちゃんと話さないので、セルビアに戻ることにした」という話を聞き、私もちょうど子供を1年くらい日本の学校へ通わそうかなと考えていたタイミングだったので、勝手に親近感を持ったりしていたのだが、子供がふと「エマに会いたい」と言ったのに乗じて、セルビアへ行ってみようかと考え始めた。

今年の年初、日本行きのチケットはいつまでも高値しか出てこないため帰省を諦め、代わりにヨーロッパ方面の比較的安めのチケットを購入した。
ヨーロッパは一度域内に入れば何なりと安めの飛行機や鉄道が見つかるので、どこでも良いので半年前くらいまでに別の大陸から安い都市へ入るルートを確保し、そこからの移動や宿は数ヶ月前くらいに買うのが概ね安くなる。人々が夏休みの予定を考え出す少し前くらいに域内の宿と交通を確保した。

メキシコからマドリードに入って、ベオグラード、アドリア海のビーチハウスでも借りて少し滞在し、マドリードに戻るという形で考える。ベオグラードはバルセロナ経由で鉄道と組み合わせ、戻りのポドゴリツァ発はポーランドのクラコフと迷ったがジュネーブ経由にした。それぞれ航空券代が直行の半分くらいの値段になる。

スペインの高速鉄道は上下分離でフランス系、イタリア系の鉄道会社と競合になっていて、飛行機同様に事前だとかなり安値のチケットが見つかる。今回はiryoというイタリア系の会社を使ったが快適だった。
ベオグラードから海岸へは鉄道が通っていて、景色が良い路線として有名なのだが、インターネットでチケットが買えない。さすがにバケーションシーズンに当日寝台列車を抑えるのはちょっと怖く、今回は宿に頼んでチケットを購入してもらった。


このあたりは色々と歴史の宝庫で、ローマ帝国からNATOのセルビア空爆まで調べ甲斐がある場所だ。
個人的には旧ユーゴの建築、France24の記事にもあるノヴィ・ベオグラードの巨大建築や計画都市的なパースにどうしても惹かれるところもあるが、ベオグラードは川沿いに広がる歴史地区と城塞など、魅力的な街だなと思った。ニシュも同じように川沿いで城塞がある。歴史的な街で、しっとりとしていていい。

france24.com © Andrej Isakovic, AFP

Novi Beogradの巨大アパート


アドリア海の海岸沿いはイタリアのヴェネツィア領だった。SutomoreもSpizzaと言ったらしい。まるでピザ屋の店名のようだ。点在する街はそれぞれイタリア名があって、現在の名前と照らし合わせてみるのが興味深い。

海の都の物語 塩野七生著より。ドゥブロヴニク = ラグーザなど、言語で異なる地名

 

セルビアは戦争の時に断罪された側というイメージがどうしてもこびりついていたのだが、高速の途中で「コソボはセルビア」のペイントを何度か見かけて、政治的な匂いを感じたくらいで、まあシステムは基本的にヨーロピアン・スタンダードで、旅行にはほとんど違和感がない感じだ。

 

訪問先の家で、日本は人口減でなかなか将来厳しいからね、という話をしたら、セルビアも同じように人口減少してるし、戦争の影響は大きかったからね・・という話になった。

 こちらも今調べてみたら、2050年に向けて人口減少する国のワーストリストは、日本と韓国に加え、東欧やバルト三国の国がランクインしていて、ワースト1はブルガリアなのを初めて知った。
日本・韓国は主に少子化が要因だと思うが、これらの国々はEUの中心国に人が惹きつけられるのと、酒タバコあたりが要因なのか。セルビアが複雑なのは移民の送出国でもあるが、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなどから流入したセルビア系の移民も多かったらしい。

物価はまあこの円安時代で大体日本と同じくらいという感じだったので、ドルやユーロ圏から見ると安いのだろう。アウトソーシングのようなリモートワークをしているとよく出会うのがフィリピン人だが、そこそこセルビア人も見かける。教育水準の高さと自国の給料水準がマッチしてないのかもしれない。
日本人の旅行記でセルビアの話を書いている人も、オンラインの英語クラスを受講したら教師がセルビア人だった、というパターンを見かける。


人種的に異なるハンガリー、ラテン系のルーマニア、ムスリムのアルバニア、カトリックのポーランドなど、それぞれ微妙な違いがありそこに国境がある、という意味で色々と興味深いエリアなのだが、大きな括りではヨーロッパなので、個人的に旅行を後回しにしていたら家族もでき、なかなか国を渡り歩く旅行がしにくいようになってしまった。

ベオグラードからニシュの高速は結構トルコ語とかトルコナンバーのトラックが目立ち、そういうルートとして使われているんだなというのを再認識するのだが、そうなるとバスでイスタンブールまで行きたいなとか、ちょっと消化不良感は否めないのだが、まあ入り口の旅としては悪くなかったかな、と思う。


最後に一つだけ。ベオグラードの市バスはバス内では支払いができず、アプリからのみ料金を支払えるという記述が日本語でも英語でもいくつかあるのだけど、普通に運転席の横に端末があって、一回券や一日券をクレジットカードのタップ決済で買うことができるので、心配しなくても良い。

EDIFIER W820NB Plus

EDIFIERのヘッドホン、W820NB Plusを買った。
どこかで聞いたメーカーだなあと思ったら、20年ほど前にドスパラで買ったPCスピーカーがこのメーカー製だった。数千円の品物だが「この価格帯の音ではない」とネット上で妙に評判が高く、私も何年か使っていたことを思い出す。コスパが高いメーカーというイメージは変わらないが、今や深圳の株式市場にも上場済みで、日本やアメリカの老舗音響メーカーを買収して高価格帯の製品まで投入しているようだ。

一昔前に(無料アップグレードされた)プレミアムエコノミーで貸し出されるBOSEのノイズキャンセリングヘッドホンを使って以来、一本くらいはノイズキャンセリング機能がついたヘッドホンが欲しいなと思っていたのだが、メキシコの免税範囲の$50以下で探すと、ちょっと微妙な品質のものになってしまう。Anker Soundcore Q30/Q35あたりが買えないかと思いつつ、数年経ってしまった。

私は高音質を追求してDACを買うようなタイプでもないので、今ある環境でどこまで変わるかという感じのキャッチアップができれば十分だ。とはいえ、Macbook Air M1はハイレゾの96kHz/24bitの出力に対応しているし、Pixel 7aはBluetoothのLDACコーデックに対応している。Amazon Musicは無料トライアルでハイレゾ音源が聴けるし、QobuzもTidalもメキシコでは使える。ということで、後継機種W830NBが出て値段も下がったW820NB Plusを$37で買った。


で、実際に聴き比べてみる。
MacのAudio MIDI設定でUSB有線接続96kHz/24bitにセットして、Amazon Musicで音源からヘッドホンまで全て96kHz/24bitと表示される環境では、確かに高音質というか、解像度が高い音のような感じがする。一方、Spotifyの無料版で同じ曲を再生してみると、少し圧縮感が感じられた。

次にPixel 7aでAmazon MusicのハイレゾをUSB接続と、LDACのワイヤレス接続で試してみる。Mac USB有線接続 > Pixel 7a LDAC > Pixel 7a USB接続 の順で音の違いを感じるのだが、無線が有線よりも良い音になるというのはちょっと考えにくく、最初は自分の耳を疑った。
少し調べてみると、AndroidのUSB Audioは内部のミキサーで48kHzにリサンプリングされるらしく、Amazon Music上では96kHz/24bitと表示されているものの、どうも怪しい気がする。一方で無線のLDACは十分な転送幅もあり、96kHz/24bitはサポートしているはずなのだが、こちらも同様Androidのミキサーで48kHzにリサンプリングされているかもしれない。

このAndroid 48kHzリサンプリング問題はPowerAmpやUSB Audio Player PROといった有料アプリで回避するのが一般的らしいが、Tidalのアプリ単体でもいけるようだ。今度はTidalで聴き比べてみると、Mac USB有線接続 ≒ Pixel 7a USB接続 > Pixel 7a LDAC というように聞こえる。ちなみに、Norah JonesのDon't know Whyが192kHz/24bitと44.1kHz/16bitの両方で用意されていたので、Pixel 7a USB接続で両方聞いてみたが、ほぼ違いがわからないレベルだった。


ということで今回の結果では、ロスレスか圧縮が入るかという部分で、例えばMP3とロスレスの違いは多少わかるかもしれないが、同じヘッドホンでCD(44.1kHz/16bit)とハイレゾ(192kHz/24bit)は聞き分けができなかったということになる。
まあそこはヘッドホンに$37じゃなくて$500くらい出した上でUSB-DACに繋いでからだなという気もするが、最終的には無料お試しが終わったらSpotifyに戻るわけで、あまりとやかく言っても仕方がない。
あと、なんだかんだ言ってAppleはデフォルトでもちゃんとしてるんだなあという感じだった。今回はUSB接続で試したので関係ないと思われるが、3.5mmのアナログ端子はM1世代ではやや難があったものの、M2世代では改善されているようだ。

そもそも自分にとって、いい音という定義も状況次第というか、微妙なところだと感じる。日常的には、音質の違いを比べてみようと思って耳を澄まして聴くようなケースはレアだろう。確かにTidalは明らかに音質が良くて、どちらも使えるならTidalを起動すると思うが、ながらで音楽を聴くような状況ではSpotifyで十分なのではないかという気もする。

なお、全体的にヘッドホンは悪くないと思うし、ノイズキャンセリングもひと昔前の高級機くらいのレベルで動作している気はする。ハードウェアや規格は進化し続ける一方で、人間本体が加齢とともに可聴域が狭まっていくというのもそろそろ考慮に入れざるを得ず、複雑なものだなあと思った。

中国は日本化しない

中国の "日本化"による衰退を示唆する論調は、教育という観点を見逃している

 

中国の経済的ジレンマは1990年代の日本のように見えるかもしれないが、その違いは非常に大きい Photo: CGTN / YouTube Screengrab

 

Days and nights in Kyoto
Days and nights
Night and days
In Kyoto
Welcome to information retrieval
– Michael Kamen, Brazil


中国経済にデフレの脅威がつきまとう中、チャイナ・ウォッチャーたちは使い古された疑問を再浮上させている。「中国は日本化するのか?」メディア御用達のアナリストの言葉を借りれば、以下のような感じだろう。

中国の経済成長は、いわゆる「日本モデル」と呼ばれるものを踏襲してきた。日本や他のアジア諸国では、このモデルは短期的には目を見張るような成長率を生み出し、非常に成功する - がしかし、それはいつも最終的には同じ致命的な制約にぶつかる。すなわち、大規模な過剰投資と誤った資本配分である。つまり、北京は用心せよ、というものだ。

「中国は今、不動産セクターが3年以上も低迷し、日本型の清算に直面している。」
ちなみにこの引用は2010年に書かれたもので、中国経済が現在の半分以下で、住宅不動産への年間投資額がまだ3倍だった頃の話だ。時々、早すぎる人もいる。


日本は特別だ。これほど長く目覚ましい経済成長を遂げた後に、これほど長期にわたって経済が低迷した国はない。しかし、「日本モデル」を踏襲したすべての国が、長期にわたる苦しい経済調整を余儀なくされたというのは事実ではない。
アジアの虎と呼ばれる4カ国(韓国、台湾、香港、シンガポール)は、いずれも数十年にわたる停滞を経験していない。そして、はるか後塵を拝していた一人当たりGDPは、今や購買力平価(PPP)ベースで日本を上回っている。

韓国は1997年から98年にかけてのアジア金融危機を乗り越え、財閥を改革し、価値を高めた。台湾は大陸と経済を統合し、世界有数の半導体生産国になった。
香港の最近の10年間はお粗末だったが、それは住宅への過小投資の結果であり、結局のところ、貿易と金融のハブである香港は依然として日本を上回っている。シンガポールは一人当たりの購買力平価GDPが日本の2.6倍となり、まさにロケットのような上昇だ。

アジアの虎たちの少子化は日本の約10年後に始まったが、それはより急激で、一人当たりGDPレベルももっと低いところで始まった。台湾の出生率はほぼ日本の水準まで低下しているが、韓国はそれをはるかに下回っている。シンガポールと香港の人口推移を見ると、移民の受け入れすら、よい結果をもたらしていない。

どのアジアの虎でも起こらなかったことは、「金持ちになる前に年を取る」という陳腐な定説である。少子化が進んだからといって、アジアの虎たちが日本の一人当たりGDPに追いつき、上回ることを妨げることはなかった。
宵浅く、悲惨な人口グラフの結果がアジアの虎たちを捉えるのはまだ先かもしれないが、1980年代以降の少子化が、逆にアジア人の2世代をキャリアと商売により注力させて、数十年にわたる成長を促したのかもしれない。


中国の出生率は、大学入学者数の急増とコロナによるロックダウンによって近年急降下するまでは、日本やアジアの虎たちを余裕で上回っていた。
中国の20歳未満人口は23.3%で、アジア諸国(16~18%)よりかなり高く、米国(25.3%)や欧州(21.9%)に並ぶ。65歳以上の人口も14.6%で、先進国(20.5%)より低い。

中国は今後20年間、若年労働者を欠くことはないだろうが、コロナ以降の出生数が回復するかどうか、また大学入学者数が頭打ちになるかどうかは未知数である。
しかし、出生者減と高齢者増によると言われる日本型の経済停滞に見舞われる可能性は、まだそれが起きていないアジアの虎の各国と比べても、中国が最も低い。




日本の失われた数十年の原因として過小評価されているのは、人的資本の劣化である。4年制大学への進学率が倍増したにもかかわらず、2022年に日本の大学が輩出した理工系卒業生の数は1990年と同数である。

90年代半ばから、若者の人口が減少するにつれて、日本の4年制大学は、1995年には18歳人口の14%が進学した短期大学の層を奪い始めた。2013年までには、短期大学への進学率は5%にまで減少したが、同じ期間に4年制大学への進学率は31%から55%へと増加した。


同時に、理工系学部(STEM:科学・技術・工学・数学)への進学率は1971年の24.5%から2016年には18.1%に低下した上、理系の学生の人気を集めたのは薬学部で、率で3倍増となっている。

4年生大学の門戸の拡大と、理工系学部から薬学のような分野への流出という複合的な効果は、日本が生み出すことのできた科学者やエンジニアの質を低下させたとしか言いようがない。
大卒者の数は1970年代に頭打ちとなり、日本では大学が教育水準の高い人材を労働力に加える時代はとうに過ぎている。
他の先進諸国と同様、日本も今、入れ替わりモードにあり、若者の人口が減少していることを考えると、大学はますます能力の低下した学生を卒業させていかざるを得ないのである。


これとは対照的に、中国は高等教育機関への進学率がまだ頭打ちになっていない。今世紀初頭には1桁台だった大学進学率が、2022年には18歳人口の34%が4年制大学に、29%が短期大学に進学する。
大学への入学率が現在の横ばいだとすると、中国の大学教育を受けた労働力は今後30年間で4倍に増加することになる。

4年制大学で理工系を専攻する中国人学生の割合は、2015年(報告データの最終年)で41%と、日本の2倍以上である。短大では43%が技術系を専攻している(医療系は13%)。

過去20年間、中国が高等教育の急増によって産業と技術の成長を牽引してきたのに対し、日本は人的資本とともに後退してきた。出生数が数十年にわたり減少し、大学進学率は長い間頭打ちとなっていたため、日本の高学歴労働力は1990年代後半にピークを迎えた。今、私たちは長い停滞を目の当たりにしている。


日本の特許出願件数は2000年のピークから44%減少した。年間の国内特許出願件数は、世界全体の25%以上から2022年には3%にまで減少した。日本は1990年代後半には世界の科学論文の9%以上を発表していたが、2020年にはわずか3.4%になる。
米国に次いで2位だった日本の科学者は、被引用数上位1%の論文発表で10位に転落した。同様に、世界の製造業生産高に占める日本のシェアは、1995年の20%超から2021年には6%に低下している。


日本の数十年にわたる緩やかな衰退の間に中国が急成長したことはよく知られている。過去40年間の中国のチャートはすべて同じように見える。

さらに興味深いのは韓国のチャートである。出生率が急落しても、韓国は特許出願件数と科学論文発表件数を増やすことができており、人口が半分以下であるにも関わらず、日本とほぼ近いレベルとなっている。
同様に韓国は、中国が他のすべての国の市場シェアを飲み込んでも、製造業の付加価値比率を維持してきた。
韓国の成功の裏にある恐ろしい秘密は、教育への徹底的な傾倒にある。過去20年間、韓国の18歳層の高等教育への総就学率は100%前後で、100%を超える年もあった。

これが意味するのは、韓国は18歳を使い果たし、必要な労働者を輩出するためにより年上の学生を大学に入学させているということだ。


アナリストたちは、日本経済の停滞は金融面の失策によるもので、その背景には慢性病のような人口動態があると考えがちだ。しかし、現実はそれよりももっと複雑だ。

日本は1980年代から90年代にかけて、プラザ合意、東芝潰し、屈辱的な自動車の「自主的」輸出割当など、アメリカに足蹴にされた後、財政的、経済的、社会的に回復することはなかった。

資産バブルの不始末に始まり、サービス業を競争から遠ざけて、ゾンビ企業を生命維持装置に繋ぎとめたことは、確かに何の役にも立たなかった。しかし、プラザ合意による円に対する制約と、主要産業大手への打撃を考えれば、日本がかつて占拠し、自ら想像していたものよりもはるかに小さな壺に引きこもったことは驚くことではない。

日本は、盆栽化した人々が社会から引きこもり、草食系になり、萌えアニメの抱き枕と結婚することで、低下した野心に対処し、活力を失ったことに他ならない。
短大進学層も取り込み、人口のより多くの割合を教育してきたにもかかわらず、日本は、より質の高い労働者を作ることで、衰退し士気を失った若者を相殺することができなかった。その結果、日本は科学、技術、産業の分野で急激に順位を下げた。

一方、韓国は人口が少なく、人口動態も似ているが、半導体、家電、化学、造船で日本を雄々しく凌駕している。世界的な科学論文や特許への貢献も増え続け、2018年には一人当たりGDPが日本を上回った。
過去20年間で、韓国の若者は世界で最も教育水準の高い国となり、25歳から34歳までの人口の70%以上が高等教育を修了している(他の高学歴OECD加盟国では50~60%)。


一見成功しているように見えるが、治療法は病気を悪化させているかもしれない。韓国の若者は、改革派が児童虐待に例えるような教育を受けている。

韓国人は、教育をアジアの狂気のまったく新しいレベルにまで引き上げてしまったようだ。営利目的の学習塾(ハグォン)は数十年前、試験対策のために設立された。今日、彼らは教育システムを掌握し、韓国の5歳児の大半を受け入れている。
猛烈な教育によって人口減少を凌ぐことに韓国は成功したようだが、結果的に過労となり、低学歴層の少子化はさらに悪化している。

韓国の2023年の女性一人当たりの出生率は0.72という壊滅的な数字である(現在の人口レベルを維持するためには2.1が必要)。このことが意味するのは、韓国は当面は「日本化」を免れたものの、最終的には破滅的な結末を迎える恐れがあるということだ。


今現在も2010年と同様に、中国の「ジャパニフィケーション」に関する論評は的外れである。中国が日本と似ているのは、不動産バブルという表面的な点だけである。
1990年代、日本の人的資本はピークを迎えていたが、中国の人的資本の向上はまだ始まったばかりである。中国の大卒労働人口のピークは、あと30年は来ないだろう。教育が若者を食いつぶすのを防ぐため、中国は最近、営利目的の家庭教師業界全体を違法化した。

今後20~30年の間、中国の労働市場は、新しく生まれた科学者やエンジニアで溢れかえるだろう。CATL、BYD、DJI、miHoYo、BOEといった、少し前には聞いたこともなかったような企業の社員として。


日本の失われた数十年を金融不始末のせいだと決めつけるのは、病気と症状を取り違えている。日本はプラザ合意以降、労働力の質を高めることに失敗し、それができた中国と韓国に競り負けたのだ。

中国の不動産デベロッパーのバランスシート、投資と消費のバランス、地方政府の債務にこだわるアナリストは、木を見て森を見ずである。どのように資金を調達しているかは三次的な重要事項だ。中国は、日本や韓国、その他の経済と同様、常に人的資本の物語である。ずっと人なのだ。

 

By HAN FEIZI/韓非子
FEBRUARY 19, 2024

(原文はこちら

ニューヨーク限界旅

15年ぶりにニューヨークへ行ってきた。今時、全てが目玉が飛び出すくらい高いニューヨークに行こうとすると、3つの限界に挑戦するしかない。

  1. 限界便
  2. 限界宿
  3. 限界飯

もはや何かの苦行のようなものに近くなってきたが、一応の目的はVRグラスを買うということになっている。子供がゲーム機(Nintendo Switch)を欲しがるのだが、私はあんまりNintendoを買いたくないので、メキシコでは公式には売っていないMeta Quest 3でも買ってくるわ、という名目で家族の白眼視から逃れ、航空券を買った。もちろん今行くんだったら話題のリンゴマークの方を買いたいところだが、そんな値段ではアレだ。


1. 限界便

チケットは9月に買ったのだが、NY行きの安いチケットは主に観光に適さない酷寒の1-3月を中心に出回る。例に漏れず1月末の深夜便で、メキシコ発エルサルバドル経由のNY行きが230ドルだった。

今回乗るのはアビアンカ航空でコロンビアのフラッグキャリアだが、コロナのタイミングでチャプター11を申請し、あっさりとフルキャリアを捨ててLCCモデルに転換してしまった。手荷物はリュック以下、5時間のフライトでも水は有料という限界スタイルの割には、決して安くない値段でチケットを売っている。

もっぱらLCCの私は空のペットボトルが必須となり、セキュリティ・チェックの後、水を汲んで搭乗に備えるという浅ましい行為をせざるをえないが、調べると、乗り継ぎのエルサルバドル空港はシンガポールのチャンギ空港のように、各ゲートでセキュリティチェックを行うタイプの空港なので、セキュリティ後に水を入手する方法が物理的に存在しなくなるというLCC乗客泣かせのオチが付いていた。

やれやれと思いながら搭乗したら、なんとボーディングブリッジのところで水を一人ずつ手渡しているではないか。思わず大袈裟に感謝してしまったが、こんなことで顧客満足度が爆上がりするのだから、ぜひ続けてほしい。
全ての便が時間通りで、悪くはないフライトだった。

 

2. 限界宿

ニューヨークは宿が高い。
ドミトリーでも$100以上、普通のホテルは$150からという感じだ。私はあまりドミトリーが好きではないので、個室を探すが、どこも狂ったように高い。

比較サイトで最安なのは評価の数字もぶっちぎりで低いが、背に腹は変えられない。さらに、冬に行く場合は滞在中できるだけ暖かい場所を確保しておくことが重要だ。今回は早朝について一泊し、その翌日の深夜便で戻るのだが、高い宿に1泊して翌日の朝から宿がない状態よりは、安い宿を2泊分予約して夜まで宿にとどまれるようにした方が、疲れが少なくなる。

ということで、一泊$45ほどの宿(自称個室)を予約した。Business Insiderが、この限界宿のレビューをしていて、ちょっと笑ってしまったが、読む限り問題ないなと思っていたら、秋口ごろから毎週Bed bug(南京虫)の口コミが続々と現れ、頭を抱えることになる。

壁が薄くてうるさいとか、ゴキブリが出るとか、トイレが汚いとかそういうレベルは耐えられるので全く気にしないのだが、南京虫は蚊に噛まれるレベルではないので、そういう口コミの宿は避けたほうがいい。今回はタイミングが悪かったが、NYのbed bugはいい宿でも出ることがあり、値段の問題でもないようだ。
南京虫対策はベッドマットのチェック、バックはビニール袋で密封、電気をつけてアイマスクをして寝るなど、なかなかタフだが、やってみることにした。

で、泊まった結論としてはこれでよかったんじゃないかなあ、という感じだ。フロントの隣の部屋を割り当てられ、多少やかましかったが、夜は概ね静かだった。
シーツをめくって見てみたが、マットレスは綺麗で、シーツに南京虫はいたが死んでいたので、まあ大丈夫だろうとそのまま寝たが、特に問題なかった。

私の便もそうなのだが、中米からの航空便はやたらと深夜早朝に着発が多い。コロンビアのお姉さんの家族が深夜4時に宿の予約なしに着いて満室だったらしく、「なんで予約せずにくるのよ!ちゃんと予約してって私いったでしょ!」「いまから宿探さなきゃ・・」などと興奮している声で目が覚めたが、すぐにまた寝てしまった。
今や完全に上達を諦めたスペイン語だが、お、ちょっとは何言ってるかわかるぞ、という自分に苦笑する。

翌日は上の階の客が、隣がうるさいとフロントに苦情を言っていた。騒音元はどうも主のような長期滞在客のようで、フロントも、「仰ることはわかりますが・・今晩も酷ければオーナーに伝えて、対応してもらうようにします・・」という感じ。

共同のトイレがひどい状態になっている時もあったが、次にみたらトイレはきちんと掃除されていたりした。通路も何度も掃除しているところを見たので、適当なモーテルなんかよりもよっぽど掃除の頻度は高いような気がする。フロントもそれぞれの客にはフレンドリーに対応しているし、クレームにも少なくとも耳を傾けている。
決して努力をしていないということではない。

そう考えると、アメリカで安くて良いサービスを受けるというのは、構造的に難しいんだろうと思う。値段が安いと、筋の悪い客が含まれる可能性が高まるものだが、アメリカはいい意味でも悪い意味でも多様性の国であるために、その可能性が他国に比べ圧倒的に高い。さらに、他の客はダイレクトにそのことをクレームする。
日本のように、安いんだしみんな少しは我慢しながら使わせて貰えばいいか、などという発想には絶対ならず、誰もが少しずつ不幸になる。結局、ある程度の値段にして、足切りをすることがセキュリティになってしまう。

全然おすすめはしないが、チャイナタウンという利便性に優るものはなく、自分はまた機会があれば泊まると思う。

 

3. 限界飯

NYはラーメン1杯が5,000円、というのが一時期SNSでよく言われていたが、実際その通りなので救いようがない。
とはいえ、都会なのでここは色々とオプションがあるなという感じだった。高いのはチップも一因なので、テイクアウトなんかでこれを回避するようにする。そもそも一人飯なので、きちんとしたレストランは敷居が高い。

北米方面から日本や中国行の航空券は高騰しっぱなしで、以前と比べると平気で$300-500くらいは値上がりしている。まあNYでラーメンを多少食っても、それで日本に行かなくてよいのなら安いものだ・・という言い訳が私には成り立つので、高いラーメンは許して欲しい。
それ以外は安くて美味いものを探して食べた。安くて美味い食べものを手に入れるにはどうするか。答えは寒空の下で行列だ。ざっと食べたものを書いておこう。

それにしても、NYの食べ物屋の行列はやたらとアジア系が目立つ。地下鉄の人種分布なんかとは明らかに違うのは、どういうことなんだろうか。アジア人は並ぶのに慣れているのか、自己犠牲の上に成り立つ何かを信じているのか。
まあメキシコシティでも並んでいるタコス屋とかがあるので、別にラティーノが並ばないとは思わないが、よくわからない。


1. ユッケジャン @Gammeeok
深夜5時に空港から出ると、寒くて震えがくる。ダンキンドーナツとかマクドナルドの灯が手招きするが、最初くらいチェーン店から離れたい。ちょうどNJへ向かう駅で乗り換えなので、近くのコリアンタウンを歩いてみることにする。いくつか24時間営業の店があって、チゲでも食おうかとこの店へ。
どうもソルロンタンで有名な店らしかったのだが、ユッケジャンも牛ダシがよく効いていて、一口目で思わず感心する。キムチも山盛りで、乳酸菌の酸っぱさも素晴らしい。早朝はそれほど客もおらず、ちょうどシフトの交代のタイミングのようだった。多少長居ができ、体も暖まる。朝6時にまともなものを食べたいならレストランに行くしかない。$29.5、チップ18%込み。

2. ラーメン @一蘭
日本と全く変わらないが、私の場合、メキシコの自宅から一番近い一蘭なのは間違いない。ラーメン$23.95、値段にはチップが含まれる。20分くらい並ぶ。

3. 焼臘飯 @Wah Fung No 1 華豐快餐店
チャイナタウンを歩くとひときわ長い行列。5ドルから焼臘のぶっかけ飯が買えるが、私は鴨のローストが好物なので、三寶飯に。現金オンリー、缶ドリンク込みで8ドルもしないが、30分は並ぶ覚悟で。今回食べたものの中で一番列が長かった。
宿に戻るのも面倒だったので向かいの公園で食ったが、鴨の一口目に唸らされる。

4. ピザ @Scarr's Pizza
夜、もう寝ようかと思ったが、深夜のピザは3倍くらい美味く感じるので、店まで行く。前の行列の兄ちゃんは日系人らしく、日本語とスペイン語も話す。彼のおすすめで辛いピザにHot HoneyソースをかけるHotboiのスライスを食べたが、ちょっと忘れえぬ味という感じだった。
もっと安いピザ屋はあると思うが、ここは一度試した方がよいと思う。かなり大きめのスライスピザ2枚とコーラで$12.5。

5. パック寿司 @Wegmans
東海岸にたくさんあるスーパーらしいのだが、マンハッタンにも最近店ができたらしい。やたらと魚が充実していて、Sakanayaコーナーがある。刺身もすごい品揃えだし、アメリカのスーパーで初めて魚の干物を売っているのを見た。築地の卸と一緒にやっているらしい。一方で握りと巻物のパック寿司は$16.99、普通の味だった。

6. 餃子 @Jin Mei Dumpling 津美鍋貼
NYの定番B級グルメ、Dumplings。餃子15個入り$5。餃子の王将の持ち帰りよりも安い気がする。迷って肉饅$5にしたが、餃子の方が良かったかもしれない。どちらにしろ満足して、腹一杯になる。この満腹感は餃子にかなうものがない。

7. Smoked Pork Ramen @MOMOFUKU Noodle Bar
NYのラーメンは特にローカライズせずにそのまま日本式を持っていって、そのまま受け入れられている珍しいパターンだが、一方で、アメリカ人シェフのローカライズが入って有名店になっているところもある。この店はNYのラーメンブームの代表例とも言える店らしい。
まあピザも寿司もラーメンもタコスも、一度アメリカに入ってそれが世界に広まるというパターンを踏むことが多いので、ここメキシコの一般的な日本レストランで出てくるラーメンはこの店のスタイルに近いと思われ、どのくらい美味いのか少し気になっていた。
メキシコのラーメンはスープがぬるめ、麺の湯切りが甘く麺がくっつきがち、ダシよりも醤油の塩辛さが強い、という感じだが、さすがにここは料理としてきちんと完成されている。麺はつるっとしていて、面白い食感だ。

醤油の辛さを強く感じたが、なるほど、という感じだった。チップ20%込み、$27。まさにラーメン一杯をカウンターで食べるだけで5,000円コースだ。

あとは、屋台飯のチキンオーバーライスを食べようかと思っていたが、今回はさすがにこれ以上食えないので、次回に回すことにして、終了。

 

ところで唯一安いなと思ったのは、JFK空港からマンハッタンまで$2.90で行けることで、ターミナル8のバス停からJamaica-179stの地下鉄駅へ向かう市バスが出ている。NYは市バスとメトロの乗り換えが2時間以内無料となるので、一度市バスの料金を払えば、マンハッタンでもクイーンズでも、メトロの全駅がこの値段ポッキリとなる。

まあ大抵はAirTrainに乗ってしまうと思うが、時間に余裕があったりする時は使ったらいいんじゃないかと思う。

 

昔からこういう妙なNYへの憧れみたいなものに不思議さを感じていたのだが、上を見ればキリがない一方で、下もそれなりのオプションがあるのは、さすが懐の深い都会だ。

15年ぶりに行くと、バスもちゃんと画面に次の停留所を表示してくれるし、地下鉄も相変わらず汚い駅だが車両はそれなりに新しくなっていたりと、一定の進歩が感じられた。前回はバスの釣りも出ず、小銭の持ち合わせがない場合周りの乗客に助けてもらわざるをえないような頃だったが、今はクレジットカードのタッチ決済で大抵事足りる。

街を歩いても地下鉄に乗っていても、男女問わず、時々ああセンスが良いなあと思わせられる人がいて、この街はファッションの意味がまだ生きてるんだなあと思う。まあ平均で言うと東京とかソウルの方が小綺麗だと思うが、アメリカもメキシコと同じように、平均を語ってもあまり意味がない国だ。

 

最近、北米線だけなぜ航空券が高いのか

メキシコから日本へのフライトを常にウォッチしていると、コロナ前に比べて、航空券が高いのは当然という感覚になっているのが腹立たしい。


北米からの航空券が、少なくともドルベースでは概ね価格が戻りつつある一方で、北米から日中韓の北東アジア、タイやシンガポールといった東南アジア方面は、高止まりが続いている。

ここに全世界の国際線と国内線を合わせた座席数の供給グラフがあるが、数値で見ると、供給量は概ね2019年の水準にほぼ並ぶところまで戻ってきている。

それぞれの大陸域内でも、ヨーロッパの8月は2019年比で96.6%まで回復し、中南米は6月にコロナ前を1.8%上回る旅客数となった。各国の国内線では4月の2019年比でインドが14.7%増、アメリカが3.3%増。中国は来年の春までの計画で、国内線の運行便数は2019年を34%も上回ることになる見込みだという。

 

一方、東南アジア、北東アジアの域内の供給量は相変わらず-21%、-26%となっているが、要因は中国だろう。

中国の国際需要は概ねコロナ前の50%程度の回復となっているが、さらに細かく見ると、シンガポール、韓国など、元々需要が高かったところの回復が先行しているので、今後はそんなに心配はいらない気がする。

上のサイトからグラフを引用。

 

ただし、回復が大きく遅れているのが中国とアメリカを結ぶ路線だ。便数でなんとコロナ前から86%減の、14%に留まっている。以前は週340便あったのが、現在でも48便しか飛んでいない。11月からやっと70便に増えるが、それでも以前の20%程度という水準にしか戻らない。

そんなわけで、アジアと北米を結ぶ路線は、プライスリーダーだった中国系キャリアによる競争がほぼ消えて供給不足が続き、完全に疑似カルテル価格になってしまっている。コロナ以前に日本から北米に行く場合は、最安値が中国系キャリアの経由便で占められていたが、今はなんと日系のZipAirが一番安いという体たらくだ。

 

ではなぜ便数が増えないかというと、アメリカ当局が中国系キャリアの増便を認めないからだ。
中国側のコロナ規制による運行制限が一方的で相互協定に反したからだというのが理由らしい。また、中国系の航空会社はシベリア上空を飛べるが、米系はロシアを迂回して飛ぶため、余計な燃料と時間がかかることにも不満らしく、小刻みにしか便が増えない。

とはいえ、このデッドロックが両国の政治的な対立のみに起因しているとも言い切れない。
この10年で、アメリカと中国の航空会社のマーケットシェアは完全に逆転した。両国の直行便におけるシェアは、2010年では米系が61%だったが、2019年には33%にまで下がっている。
最終的に便数が戻れば、コロナ以前のように中国キャリアがプライスリーダーになることは間違いないため、アメリカの航空会社は一気に便数を戻すことに後ろ向きだ。現状のカルテル価格の方にメリットがあるのだろう。このビジネス上の判断も、アメリカの当局の姿勢につながっている。

米中直行便の各航空会社シェア、2019年と2010年

 

アジアからヨーロッパ方面もロシア上空が飛べないのは同じなのに、中国ーイギリスやイタリアの路線はコロナ以前の便数とほぼ肩を並べるか、上回るところまで来ているとのこと。それに比べ、アメリカはなんと面倒臭いことか。

 

格安の航空券を必要としていて、中国系の経由便を好んで使ってきた私のような人間にとっては、とんだとばっちりのような気がしてならないのだが、まあ来年も引き続き太平洋路線は厳しそうだ。