中国は日本化しない

中国の "日本化 "による衰退を示唆する論調は、教育という観点を見逃している

 

中国の経済的ジレンマは1990年代の日本のように見えるかもしれないが、その違いは非常に大きい Photo: CGTN / YouTube Screengrab

 

Days and nights in Kyoto
Days and nights
Night and days
In Kyoto
Welcome to information retrieval
– Michael Kamen, Brazil


中国経済にデフレの脅威がつきまとう中、チャイナ・ウォッチャーたちは使い古された疑問を再浮上させている。「中国は日本化するのか?」メディア御用達のアナリストの言葉を借りれば、以下のような感じだろう。

中国の経済成長は、いわゆる「日本モデル」と呼ばれるものを踏襲してきた。日本や他のアジア諸国では、このモデルは短期的には目を見張るような成長率を生み出し、非常に成功する - がしかし、それはいつも最終的には同じ致命的な制約にぶつかる。すなわち、大規模な過剰投資と誤った資本配分である。つまり、北京は用心せよ、というものだ。

「中国は今、不動産セクターが3年以上も低迷し、日本型の清算に直面している。」
ちなみにこの引用は2010年に書かれたもので、中国経済が現在の半分以下で、住宅不動産への年間投資額がまだ3倍だった頃の話だ。時々、早すぎる人もいる。


日本は特別だ。これほど長く目覚ましい経済成長を遂げた後に、これほど長期にわたって経済が低迷した国はない。しかし、「日本モデル」を踏襲したすべての国が、長期にわたる苦しい経済調整を余儀なくされたというのは事実ではない。
アジアの虎と呼ばれる4カ国(韓国、台湾、香港、シンガポール)は、いずれも数十年にわたる停滞を経験していない。そして、はるか後塵を拝していた一人当たりGDPは、今や購買力平価(PPP)ベースで日本を上回っている。

韓国は1997年から98年にかけてのアジア金融危機を乗り越え、財閥を改革し、価値を高めた。台湾は大陸と経済を統合し、世界有数の半導体生産国になった。
香港の最近の10年間はお粗末だったが、それは住宅への過小投資の結果であり、結局のところ、貿易と金融のハブである香港は依然として日本を上回っている。シンガポールは一人当たりの購買力平価GDPが日本の2.6倍となり、まさにロケットのような上昇だ。

アジアの虎たちの少子化は日本の約10年後に始まったが、それはより急激で、一人当たりGDPレベルももっと低いところで始まった。台湾の出生率はほぼ日本の水準まで低下しているが、韓国はそれをはるかに下回っている。シンガポールと香港の人口推移を見ると、移民の受け入れすら、よい結果をもたらしていない。

どのアジアの虎でも起こらなかったことは、「金持ちになる前に年を取る」という陳腐な定説である。少子化が進んだからといって、アジアの虎たちが日本の一人当たりGDPに追いつき、上回ることを妨げることはなかった。
宵浅く、悲惨な人口グラフの結果がアジアの虎たちを捉えるのはまだ先かもしれないが、1980年代以降の少子化が、逆にアジア人の2世代をキャリアと商売により注力させて、数十年にわたる成長を促したのかもしれない。


中国の出生率は、大学入学者数の急増とコロナによるロックダウンによって近年急降下するまでは、日本やアジアの虎たちを余裕で上回っていた。
中国の20歳未満人口は23.3%で、アジア諸国(16~18%)よりかなり高く、米国(25.3%)や欧州(21.9%)に並ぶ。65歳以上の人口も14.6%で、先進国(20.5%)より低い。

中国は今後20年間、若年労働者を欠くことはないだろうが、コロナ以降の出生数が回復するかどうか、また大学入学者数が頭打ちになるかどうかは未知数である。
しかし、出生者減と高齢者増によると言われる日本型の経済停滞に見舞われる可能性は、まだそれが起きていないアジアの虎の各国と比べても、中国が最も低い。




日本の失われた数十年の原因として過小評価されているのは、人的資本の劣化である。4年制大学への進学率が倍増したにもかかわらず、2022年に日本の大学が輩出した理工系卒業生の数は1990年と同数である。

90年代半ばから、若者の人口が減少するにつれて、日本の4年制大学は、1995年には18歳人口の14%が進学した短期大学の層を奪い始めた。2013年までには、短期大学への進学率は5%にまで減少したが、同じ期間に4年制大学への進学率は31%から55%へと増加した。


同時に、理工系学部(STEM:科学・技術・工学・数学)への進学率は1971年の24.5%から2016年には18.1%に低下した上、理系の学生の人気を集めたのは薬学部で、率で3倍増となっている。

4年生大学の門戸の拡大と、理工系学部から薬学のような分野への流出という複合的な効果は、日本が生み出すことのできた科学者やエンジニアの質を低下させたとしか言いようがない。
大卒者の数は1970年代に頭打ちとなり、日本では大学が教育水準の高い人材を労働力に加える時代はとうに過ぎている。
他の先進諸国と同様、日本も今、入れ替わりモードにあり、若者の人口が減少していることを考えると、大学はますます能力の低下した学生を卒業させていかざるを得ないのである。


これとは対照的に、中国は高等教育機関への進学率がまだ頭打ちになっていない。今世紀初頭には1桁台だった大学進学率が、2022年には18歳人口の34%が4年制大学に、29%が短期大学に進学する。
大学への入学率が現在の横ばいだとすると、中国の大学教育を受けた労働力は今後30年間で4倍に増加することになる。

4年制大学で理工系を専攻する中国人学生の割合は、2015年(報告データの最終年)で41%と、日本の2倍以上である。短大では43%が技術系を専攻している(医療系は13%)。

過去20年間、中国が高等教育の急増によって産業と技術の成長を牽引してきたのに対し、日本は人的資本とともに後退してきた。出生数が数十年にわたり減少し、大学進学率は長い間頭打ちとなっていたため、日本の高学歴労働力は1990年代後半にピークを迎えた。今、私たちは長い停滞を目の当たりにしている。


日本の特許出願件数は2000年のピークから44%減少した。年間の国内特許出願件数は、世界全体の25%以上から2022年には3%にまで減少した。日本は1990年代後半には世界の科学論文の9%以上を発表していたが、2020年にはわずか3.4%になる。
米国に次いで2位だった日本の科学者は、被引用数上位1%の論文発表で10位に転落した。同様に、世界の製造業生産高に占める日本のシェアは、1995年の20%超から2021年には6%に低下している。


日本の数十年にわたる緩やかな衰退の間に中国が急成長したことはよく知られている。過去40年間の中国のチャートはすべて同じように見える。

さらに興味深いのは韓国のチャートである。出生率が急落しても、韓国は特許出願件数と科学論文発表件数を増やすことができており、人口が半分以下であるにも関わらず、日本とほぼ近いレベルとなっている。
同様に韓国は、中国が他のすべての国の市場シェアを飲み込んでも、製造業の付加価値比率を維持してきた。
韓国の成功の裏にある恐ろしい秘密は、教育への徹底的な傾倒にある。過去20年間、韓国の18歳層の高等教育への総就学率は100%前後で、100%を超える年もあった。

これが意味するのは、韓国は18歳を使い果たし、必要な労働者を輩出するためにより年上の学生を大学に入学させているということだ。


アナリストたちは、日本経済の停滞は金融面の失策によるもので、その背景には慢性病のような人口動態があると考えがちだ。しかし、現実はそれよりももっと複雑だ。

日本は1980年代から90年代にかけて、プラザ合意東芝潰し、屈辱的な自動車の「自主的」輸出割当など、アメリカに足蹴にされた後、財政的、経済的、社会的に回復することはなかった。

資産バブルの不始末に始まり、サービス業を競争から遠ざけて、ゾンビ企業を生命維持装置に繋ぎとめたことは、確かに何の役にも立たなかった。しかし、プラザ合意による円に対する制約と、主要産業大手への打撃を考えれば、日本がかつて占拠し、自ら想像していたものよりもはるかに小さな壺に引きこもったことは驚くことではない。

日本は、盆栽化した人々が社会から引きこもり、草食系になり、萌えアニメの抱き枕と結婚することで、低下した野心に対処し、活力を失ったことに他ならない。
短大進学層も取り込み、人口のより多くの割合を教育してきたにもかかわらず、日本は、より質の高い労働者を作ることで、衰退し士気を失った若者を相殺することができなかった。その結果、日本は科学、技術、産業の分野で急激に順位を下げた。

一方、韓国は人口が少なく、人口動態も似ているが、半導体、家電、化学、造船で日本を雄々しく凌駕している。世界的な科学論文や特許への貢献も増え続け、2018年には一人当たりGDPが日本を上回った。
過去20年間で、韓国の若者は世界で最も教育水準の高い国となり、25歳から34歳までの人口の70%以上が高等教育を修了している(他の高学歴OECD加盟国では50~60%)。


一見成功しているように見えるが、治療法は病気を悪化させているかもしれない。韓国の若者は、改革派が児童虐待に例えるような教育を受けている。

韓国人は、教育をアジアの狂気のまったく新しいレベルにまで引き上げてしまったようだ。営利目的の学習塾(ハグォン)は数十年前、試験対策のために設立された。今日、彼らは教育システムを掌握し、韓国の5歳児の大半を受け入れている。
猛烈な教育によって人口減少を凌ぐことに韓国は成功したようだが、結果的に過労となり、低学歴層の少子化はさらに悪化している。

韓国の2023年の女性一人当たりの出生率は0.72という壊滅的な数字である(現在の人口レベルを維持するためには2.1が必要)。このことが意味するのは、韓国は当面は「日本化」を免れたものの、最終的には破滅的な結末を迎える恐れがあるということだ。


今現在も2010年と同様に、中国の「ジャパニフィケーション」に関する論評は的外れである。中国が日本と似ているのは、不動産バブルという表面的な点だけである。
1990年代、日本の人的資本はピークを迎えていたが、中国の人的資本の向上はまだ始まったばかりである。中国の大卒労働人口のピークは、あと30年は来ないだろう。教育が若者を食いつぶすのを防ぐため、中国は最近、営利目的の家庭教師業界全体を違法化した。

今後20~30年の間、中国の労働市場は、新しく生まれた科学者やエンジニアで溢れかえるだろう。CATL、BYD、DJI、miHoYo、BOEといった、少し前には聞いたこともなかったような企業の社員として。


日本の失われた数十年を金融不始末のせいだと決めつけるのは、病気と症状を取り違えている。日本はプラザ合意以降、労働力の質を高めることに失敗し、それができた中国と韓国に競り負けたのだ。

中国の不動産デベロッパーのバランスシート、投資と消費のバランス、地方政府の債務にこだわるアナリストは、木を見て森を見ずである。どのように資金を調達しているかは三次的な重要事項だ。中国は、日本や韓国、その他の経済と同様、常に人的資本の物語である。ずっと人なのだ。

 

By HAN FEIZI/韓非子
FEBRUARY 19, 2024

(原文はこちら

ニューヨーク限界旅

15年ぶりにニューヨークへ行ってきた。今時、全てが目玉が飛び出すくらい高いニューヨークに行こうとすると、3つの限界に挑戦するしかない。

  1. 限界便
  2. 限界宿
  3. 限界飯

もはや何かの苦行のようなものに近くなってきたが、一応の目的はVRグラスを買うということになっている。子供がゲーム機(Nintendo Switch)を欲しがるのだが、私はあんまりNintendoを買いたくないので、メキシコでは公式には売っていないMeta Quest 3でも買ってくるわ、という名目で家族の白眼視から逃れ、航空券を買った。もちろん今行くんだったら話題のリンゴマークの方を買いたいところだが、そんな値段ではアレだ。


1. 限界便

チケットは9月に買ったのだが、NY行きの安いチケットは主に観光に適さない酷寒の1-3月を中心に出回る。例に漏れず1月末の深夜便で、メキシコ発エルサルバドル経由のNY行きが230ドルだった。

今回乗るのはアビアンカ航空でコロンビアのフラッグキャリアだが、コロナのタイミングでチャプター11を申請し、あっさりとフルキャリアを捨ててLCCモデルに転換してしまった。手荷物はリュック以下、5時間のフライトでも水は有料という限界スタイルの割には、決して安くない値段でチケットを売っている。

もっぱらLCCの私は空のペットボトルが必須となり、セキュリティ・チェックの後、水を汲んで搭乗に備えるという浅ましい行為をせざるをえないが、調べると、乗り継ぎのエルサルバドル空港はシンガポールチャンギ空港のように、各ゲートでセキュリティチェックを行うタイプの空港なので、セキュリティ後に水を入手する方法が物理的に存在しなくなるというLCC乗客泣かせのオチが付いていた。

やれやれと思いながら搭乗したら、なんとボーディングブリッジのところで水を一人ずつ手渡しているではないか。思わず大袈裟に感謝してしまったが、こんなことで顧客満足度が爆上がりするのだから、ぜひ続けてほしい。
全ての便が時間通りで、悪くはないフライトだった。

 

2. 限界宿

ニューヨークは宿が高い。
ドミトリーでも$100以上、普通のホテルは$150からという感じだ。私はあまりドミトリーが好きではないので、個室を探すが、どこも狂ったように高い。

比較サイトで最安なのは評価の数字もぶっちぎりで低いが、背に腹は変えられない。さらに、冬に行く場合は滞在中できるだけ暖かい場所を確保しておくことが重要だ。今回は早朝について一泊し、その翌日の深夜便で戻るのだが、高い宿に1泊して翌日の朝から宿がない状態よりは、安い宿を2泊分予約して夜まで宿にとどまれるようにした方が、疲れが少なくなる。

ということで、一泊$45ほどの宿(自称個室)を予約した。Business Insiderが、この限界宿のレビューをしていて、ちょっと笑ってしまったが、読む限り問題ないなと思っていたら、秋口ごろから毎週Bed bug(南京虫)の口コミが続々と現れ、頭を抱えることになる。

壁が薄くてうるさいとか、ゴキブリが出るとか、トイレが汚いとかそういうレベルは耐えられるので全く気にしないのだが、南京虫は蚊に噛まれるレベルではないので、そういう口コミの宿は避けたほうがいい。今回はタイミングが悪かったが、NYのbed bugはいい宿でも出ることがあり、値段の問題でもないようだ。
南京虫対策はベッドマットのチェック、バックはビニール袋で密封、電気をつけてアイマスクをして寝るなど、なかなかタフだが、やってみることにした。

で、泊まった結論としてはこれでよかったんじゃないかなあ、という感じだ。フロントの隣の部屋を割り当てられ、多少やかましかったが、夜は概ね静かだった。
シーツをめくって見てみたが、マットレスは綺麗で、シーツに南京虫はいたが死んでいたので、まあ大丈夫だろうとそのまま寝たが、特に問題なかった。

私の便もそうなのだが、中米からの航空便はやたらと深夜早朝に着発が多い。コロンビアのお姉さんの家族が深夜4時に宿の予約なしに着いて満室だったらしく、「なんで予約せずにくるのよ!ちゃんと予約してって私いったでしょ!」「いまから宿探さなきゃ・・」などと興奮している声で目が覚めたが、すぐにまた寝てしまった。
今や完全に上達を諦めたスペイン語だが、お、ちょっとは何言ってるかわかるぞ、という自分に苦笑する。

翌日は上の階の客が、隣がうるさいとフロントに苦情を言っていた。騒音元はどうも主のような長期滞在客のようで、フロントも、「仰ることはわかりますが・・今晩も酷ければオーナーに伝えて、対応してもらうようにします・・」という感じ。

共同のトイレがひどい状態になっている時もあったが、次にみたらトイレはきちんと掃除されていたりした。通路も何度も掃除しているところを見たので、適当なモーテルなんかよりもよっぽど掃除の頻度は高いような気がする。フロントもそれぞれの客にはフレンドリーに対応しているし、クレームにも少なくとも耳を傾けている。
決して努力をしていないということではない。

そう考えると、アメリカで安くて良いサービスを受けるというのは、構造的に難しいんだろうと思う。値段が安いと、筋の悪い客が含まれる可能性が高まるものだが、アメリカはいい意味でも悪い意味でも多様性の国であるために、その可能性が他国に比べ圧倒的に高い。さらに、他の客はダイレクトにそのことをクレームする。
日本のように、安いんだしみんな少しは我慢しながら使わせて貰えばいいか、などという発想には絶対ならず、誰もが少しずつ不幸になる。結局、ある程度の値段にして、足切りをすることがセキュリティになってしまう。

全然おすすめはしないが、チャイナタウンという利便性に優るものはなく、自分はまた機会があれば泊まると思う。

 

3. 限界飯

NYはラーメン1杯が5,000円、というのが一時期SNSでよく言われていたが、実際その通りなので救いようがない。
とはいえ、都会なのでここは色々とオプションがあるなという感じだった。高いのはチップも一因なので、テイクアウトなんかでこれを回避するようにする。そもそも一人飯なので、きちんとしたレストランは敷居が高い。

北米方面から日本や中国行の航空券は高騰しっぱなしで、以前と比べると平気で$300-500くらいは値上がりしている。まあNYでラーメンを多少食っても、それで日本に行かなくてよいのなら安いものだ・・という言い訳が私には成り立つので、高いラーメンは許して欲しい。
それ以外は安くて美味いものを探して食べた。安くて美味い食べものを手に入れるにはどうするか。答えは寒空の下で行列だ。ざっと食べたものを書いておこう。

それにしても、NYの食べ物屋の行列はやたらとアジア系が目立つ。地下鉄の人種分布なんかとは明らかに違うのは、どういうことなんだろうか。アジア人は並ぶのに慣れているのか、自己犠牲の上に成り立つ何かを信じているのか。
まあメキシコシティでも並んでいるタコス屋とかがあるので、別にラティーノが並ばないとは思わないが、よくわからない。


1. ユッケジャン @Gammeeok
深夜5時に空港から出ると、寒くて震えがくる。ダンキンドーナツとかマクドナルドの灯が手招きするが、最初くらいチェーン店から離れたい。ちょうどNJへ向かう駅で乗り換えなので、近くのコリアンタウンを歩いてみることにする。いくつか24時間営業の店があって、チゲでも食おうかとこの店へ。
どうもソルロンタンで有名な店らしかったのだが、ユッケジャンも牛ダシがよく効いていて、一口目で思わず感心する。キムチも山盛りで、乳酸菌の酸っぱさも素晴らしい。早朝はそれほど客もおらず、ちょうどシフトの交代のタイミングのようだった。多少長居ができ、体も暖まる。朝6時にまともなものを食べたいならレストランに行くしかない。$29.5、チップ18%込み。

2. ラーメン @一蘭
日本と全く変わらないが、私の場合、メキシコの自宅から一番近い一蘭なのは間違いない。ラーメン$23.95、値段にはチップが含まれる。20分くらい並ぶ。

3. 焼臘飯 @Wah Fung No 1 華豐快餐店
チャイナタウンを歩くとひときわ長い行列。5ドルから焼臘のぶっかけ飯が買えるが、私は鴨のローストが好物なので、三寶飯に。現金オンリー、缶ドリンク込みで8ドルもしないが、30分は並ぶ覚悟で。今回食べたものの中で一番列が長かった。
宿に戻るのも面倒だったので向かいの公園で食ったが、鴨の一口目に唸らされる。

4. ピザ @Scarr's Pizza
夜、もう寝ようかと思ったが、深夜のピザは3倍くらい美味く感じるので、店まで行く。前の行列の兄ちゃんは日系人らしく、日本語とスペイン語も話す。彼のおすすめで辛いピザにHot HoneyソースをかけるHotboiのスライスを食べたが、ちょっと忘れえぬ味という感じだった。
もっと安いピザ屋はあると思うが、ここは一度試した方がよいと思う。かなり大きめのスライスピザ2枚とコーラで$12.5。

5. パック寿司 @Wegmans
東海岸にたくさんあるスーパーらしいのだが、マンハッタンにも最近店ができたらしい。やたらと魚が充実していて、Sakanayaコーナーがある。刺身もすごい品揃えだし、アメリカのスーパーで初めて魚の干物を売っているのを見た。築地の卸と一緒にやっているらしい。一方で握りと巻物のパック寿司は$16.99、普通の味だった。

6. 餃子 @Jin Mei Dumpling 津美鍋貼
NYの定番B級グルメ、Dumplings。餃子15個入り$5。餃子の王将の持ち帰りよりも安い気がする。迷って肉饅$5にしたが、餃子の方が良かったかもしれない。どちらにしろ満足して、腹一杯になる。この満腹感は餃子にかなうものがない。

7. Smoked Pork Ramen @MOMOFUKU Noodle Bar
NYのラーメンは特にローカライズせずにそのまま日本式を持っていって、そのまま受け入れられている珍しいパターンだが、一方で、アメリカ人シェフのローカライズが入って有名店になっているところもある。この店はNYのラーメンブームの代表例とも言える店らしい。
まあピザも寿司もラーメンもタコスも、一度アメリカに入ってそれが世界に広まるというパターンを踏むことが多いので、ここメキシコの一般的な日本レストランで出てくるラーメンはこの店のスタイルに近いと思われ、どのくらい美味いのか少し気になっていた。
メキシコのラーメンはスープがぬるめ、麺の湯切りが甘く麺がくっつきがち、ダシよりも醤油の塩辛さが強い、という感じだが、さすがにここは料理としてきちんと完成されている。麺はつるっとしていて、面白い食感だ。

醤油の辛さを強く感じたが、なるほど、という感じだった。チップ20%込み、$27。まさにラーメン一杯をカウンターで食べるだけで5,000円コースだ。

あとは、屋台飯のチキンオーバーライスを食べようかと思っていたが、今回はさすがにこれ以上食えないので、次回に回すことにして、終了。

 

昔からこういう妙なNYへの憧れみたいなものに不思議さを感じていたのだが、上を見ればキリがない一方で、下もそれなりのオプションがあるのは、さすが懐の深い都会だ。

15年ぶりに行くと、バスもちゃんと画面に次の停留所を表示してくれるし、地下鉄も相変わらず汚い駅だが車両はそれなりに新しくなっていたりと、一定の進歩が感じられた。前回はバスの釣りも出ず、小銭の持ち合わせがない場合周りの乗客に助けてもらわざるをえないような頃だったが、今はクレジットカードのタッチ決済で大抵事足りる。

街を歩いても地下鉄に乗っていても、男女問わず、時々ああセンスが良いなあと思わせられる人がいて、この街はファッションの意味がまだ生きてるんだなあと思う。まあ平均で言うと東京とかソウルの方が小綺麗だと思うが、アメリカもメキシコと同じように、平均を語ってもあまり意味がない国だ。

 

最近、北米線だけなぜ航空券が高いのか

メキシコから日本へのフライトを常にウォッチしていると、コロナ前に比べて、航空券が高いのは当然という感覚になっているのが腹立たしい。


北米からの航空券が、少なくともドルベースでは概ね価格が戻りつつある一方で、北米から日中韓の北東アジア、タイやシンガポールといった東南アジア方面は、高止まりが続いている。

ここに全世界の国際線と国内線を合わせた座席数の供給グラフがあるが、数値で見ると、供給量は概ね2019年の水準にほぼ並ぶところまで戻ってきている。

それぞれの大陸域内でも、ヨーロッパの8月は2019年比で96.6%まで回復し、中南米は6月にコロナ前を1.8%上回る旅客数となった。各国の国内線では4月の2019年比でインドが14.7%増、アメリカが3.3%増。中国は来年の春までの計画で、国内線の運行便数は2019年を34%も上回ることになる見込みだという。

 

一方、東南アジア、北東アジアの域内の供給量は相変わらず-21%、-26%となっているが、要因は中国だろう。

中国の国際需要は概ねコロナ前の50%程度の回復となっているが、さらに細かく見ると、シンガポール、韓国など、元々需要が高かったところの回復が先行しているので、今後はそんなに心配はいらない気がする。

上のサイトからグラフを引用。

 

ただし、回復が大きく遅れているのが中国とアメリカを結ぶ路線だ。便数でなんとコロナ前から86%減の、14%に留まっている。以前は週340便あったのが、現在でも48便しか飛んでいない。11月からやっと70便に増えるが、それでも以前の20%程度という水準にしか戻らない。

そんなわけで、アジアと北米を結ぶ路線は、プライスリーダーだった中国系キャリアによる競争がほぼ消えて供給不足が続き、完全に疑似カルテル価格になってしまっている。コロナ以前に日本から北米に行く場合は、最安値が中国系キャリアの経由便で占められていたが、今はなんと日系のZipAirが一番安いという体たらくだ。

 

ではなぜ便数が増えないかというと、アメリカ当局が中国系キャリアの増便を認めないからだ。
中国側のコロナ規制による運行制限が一方的で相互協定に反したからだというのが理由らしい。また、中国系の航空会社はシベリア上空を飛べるが、米系はロシアを迂回して飛ぶため、余計な燃料と時間がかかることにも不満らしく、小刻みにしか便が増えない。

とはいえ、このデッドロックが両国の政治的な対立のみに起因しているとも言い切れない。
この10年で、アメリカと中国の航空会社のマーケットシェアは完全に逆転した。両国の直行便におけるシェアは、2010年では米系が61%だったが、2019年には33%にまで下がっている。
最終的に便数が戻れば、コロナ以前のように中国キャリアがプライスリーダーになることは間違いないため、アメリカの航空会社は一気に便数を戻すことに後ろ向きだ。現状のカルテル価格の方にメリットがあるのだろう。このビジネス上の判断も、アメリカの当局の姿勢につながっている。

米中直行便の各航空会社シェア、2019年と2010年

 

アジアからヨーロッパ方面もロシア上空が飛べないのは同じなのに、中国ーイギリスやイタリアの路線はコロナ以前の便数とほぼ肩を並べるか、上回るところまで来ているとのこと。それに比べ、アメリカはなんと面倒臭いことか。

 

格安の航空券を必要としていて、中国系の経由便を好んで使ってきた私のような人間にとっては、とんだとばっちりのような気がしてならないのだが、まあ来年も引き続き太平洋路線は厳しそうだ。

Pixel 7aの北米版(GWKK3)は、モデル番号を変更するだけでSuicaが使えるようになるよ、という話

Androidの海外端末はおサイフケータイが使えない、NFC-F/Felicaへの対応はハードウェアレベルで、というのが今までの定説だった気がする。例えばここ最近私が使ってきた端末の Google Pixel 3a や Xiaomi Mi 11 Lite 5G は共に日本でも発売され、日本版はおサイフケータイに対応している。しかし日本版と海外版はハードウェア的にも違いがあって、海外版に日本版ROMを焼いたり、root化してソフトウェア上でどこかをいじったとしても、NFC-Fは有効にならない状態だったと思う。

一方、iPhoneは8以降でどの国のモデルを買ってもNFC-Fが有効になるので、一部の人にとってはiPhoneにメリットがあった。まあ、物好きが海外版を使う場合と、日本に来る旅行者へのメリットのようなものだから、ビジネス面ではあまり考えなくてもよいのだろうが、どうしても使いたいという人は出てくる。

今回の情報も台湾のサイトで見つけたのだけど、日本への旅行ニーズが高くて、ITレベルが高い国が存在してくれてありがたいなあというお話だ。


どうやら、このハードウェアの共通化はPixel 6から始まっているようで、Google Pixel 6、Pixel 6 Pro、Pixel 7、Pixel 7 Pro、そして今回試したPixel 7aであれば、ソフトウェアの書き換えのみでNFC-Fが解放されるようだ。

元々、Pixelの日本版を入手した人がシャッター音全開の変な制限にうんざりして、国際版に書き換えたいというニーズから議論が始まっていたようなのだが、だんだん日本旅行時にAndroidでもSuicaを使わせろという流れも合流したらしい。


さてやり方だが、adbの環境があって、ROMを焼いたりしたことがあるような人であれば、そんなに難しくない。

  1. 端末をroot化
  2. Magisk moduleでモデル番号を書き換えてリブート
  3. Android Flash Toolで初期状態に戻す

と、これだけだ。

 

雑多な注意点。

  • root化からMagiskの使い方なんかは、十分情報があると思う。昔はMagiskでパッチを当てるのはboot.imgだったが、工場出荷時にAndroid13の端末からは、init_boot.imgになったらしい。Pixel 7aは発売が最近なので、念のためMagiskはCanary版を使った。
  • PixelFlasherというソフトを使うと、ボタンを押すだけでbootのイメージ書き換えとFlashまで出来て楽になる。
  • 2番の書き換えは台湾のサイトのようにツールでやるのが簡単だと思うが、Pixel 7aの場合はMagisk moduleが対応していないので、Hex editorでファイルを書き換える(この書き込みの「Spoiler: steps」を参照)。一か所、GWKK3のところをG82U8にするだけだ。
  • Android Flash Toolでは、全Wipeと強制フラッシュ、OEMロックというかブートローダーの再ロックまでしておいて問題ない。
  • モデル番号の確認は、設定の「安全と規制に関する情報」のところで確認すればよいが、それ以前に、初期時のセットアップウィザードにてGoogleアプリのインストール選択画面があり、おサイフケータイ関連のアプリがリストされていれば日本版だ。なぜか私の場合書き換え後の初期ウィザードが北米版のアプリリストのままだったが、改めて設定からファクトリーリセットを行って、その後のウィザードでは日本版のアプリリストになった。

 

iPhoneでサーバーに預けたSuicaAndroid側に移動させて、PixelをiPhoneにかざしてSuica残高読み取りアプリできちんと読めたので、正しく動作しているとは思うが、実際に駅の改札やコンビニで使えるかをメキシコで検証することはできないので、まあ誰か試してみてほしい。

北米版モデル GWKK3  /  SuicaをWalletに追加し終わったところ

 

それにしても、中華端末はまだ輸入のメリットがあるかもしれないが、Pixelになると、日本版は北米版よりも100ドルくらい安い($499+地方税)上におサイフケータイもついていて、もはや日本で海外版を買うメリットというのはほぼ消えている感じがする。

相変わらずカメラのシャッター音が鳴り響くのも、PixelはGcamという無音カメラがほぼ機能的に遜色のないレベルで使えるので、これに切り替えればよいだけだ。

海外版を買うメリットがほぼ消えたタイミングでこういう事態になるというのは、皮肉なのかなんなのか、不思議な感慨を覚える。素直に日本版を買えばよい時代になって良かったが、その頃には、なぜか私が海外に住んでいるというのもよくわからない。

 

同じような話は最近よく見かけて、数か月前にSamsungのGalaxy s22(SC-51C)をメルカリで買ったら、こちらも実はdocomo版とau版のハードウェアは同一で、ROMを焼けばそれぞれ完全に別のキャリア版に変更できるようになっているらしい。そりゃ誰でも細かく作り分けるよりも、同一のハードウェアにしてソフトウェアで制御すればよいと思うし、コスト面でも有利になるだろう。

だが今度は同一ハードウェアになってみると、キャリア版の対応バンドがやたらと削られてるのはなんなんだとか、そもそも何が不満で海外端末でFelicaを使わせたがらないのかなど、別の疑問も大きくなってくる。

The Slow Train South to Mexico City

By John Perrotta
November 9, 1986

テキサスからメキシコシティ行きのフライトはキャンセルした。
2時間弱のせわしないフライトよりも、ゆっくりと過ごすことに決めたからだ。列車の車窓から眺めるメキシコの風景は、旅の始まりにふさわしいとも思った。28時間かかる列車の旅だったが、その速度は心地よく、値段も手頃で、忘れがたい異文化を垣間見ることができた。

アステカ・イーグル号は、毎日、国境の町ヌエボ・ラレドからメキシコシティへ向けて出発する。国境から首都までの最短ルート(1247km)を走る列車だ。2等車の場合、混むと落ち着かないかもしれないと聞いていたので、奮発して1等車にし、古い寝台車の個室(カマラン)を確保した。料金は合計25ドル。

列車は午後7時、わずか5分ほど遅れて、ヌエボ・ラレドを出発した。しかし、時間の感覚を失うまでにそれほど時間はかからなかった。ある場所では、列車があまりにもゆっくり走っていたので、周りへの警告のため、ボーイが列車から発煙筒を線路わきに投げていた。火が燃え尽きたら、列車は走れるようになるのだ。

 

アステカ・イーグル号路線図

 

真夜中に、メキシコ有数の工業都市モンテレイに到着した。5時間で267km、時速約53kmでここまで来たことになる(全行程の平均時速は45km)。

この旅は、しばしば冒険心をかきたてるものだった。人けのない長い区間が何度もあり、機関士と無線が通じないこともあった。
私はよく最後尾の車両のデッキに立ち、外の空気を楽しみながら、カーブを曲がるときの列車の傾きや、機関車の上に上がる煙を見ていた。車掌がデッキに出てくることもあったが、私がいても気にする様子はなかった。


アステカ・イーグル、スペイン語ではアギラ・アステカの歴史は、19世紀末にメキシコの独裁者ポルフィリオ・ディアスがアメリカ国境までの線路敷設の利権を与えたことに源を発する。1888年デンバー・アンド・リオグランデ鉄道の社長だったウィリアム・ジャクソン・パーマーがメキシコ国鉄を完成させた。メキシコシティからヌエボ・ラレドまでの狭軌の線路である。そこからはミズーリ・パシフィック鉄道などとつながり、最終的にはセントルイス、シカゴ、ニューヨークといった遠方からの寝台列車による豪華な旅が可能になった。その後、線路は標準軌に改軌される。

この線路とそこを走る列車は、1910年のメキシコ革命で重要な役割を果たし、双方とも兵士、馬、軍需品の輸送に鉄道を利用した。しかし、革命は鉄道に大打撃を与え、1937年には政府が鉄道の大部分を管理するようになった。

スイスで試験運行中の、アステカ・イーグル号車両

1953年、アステカ・イーグルは、スイス製のヨーロピアンな車両で運行を開始した。寝室、ゲストルーム、専用シャワー付の客室、バー付きの展望車、クリスタルや陶磁器で飾られた44人乗りの食堂車を備え、内装はアステカをテーマにしていた。しかし、この新車はメキシコの険しい地形にうまくなじめなかった。そこで、ニューヨーク・セントラル鉄道などアメリカの鉄道会社から買い取った中古の車両を改造して補充した。現在では、ほとんどの車両が第二次世界大戦後のもので、装備もまちまちである。全体的に手入れが行き届いていて、乗り心地もいい。

モンテレイからは食堂車が連結されるはずだったが、今回の編成に食堂車はなかった。代わりに、主要な停車駅では地元の人々が乗り込み、タコス、チキン、魔法瓶から注がれる甘めのブラックコーヒー、瓶ビール、ソフトドリンク、ミネラルウォーターなどを売り歩いていた。


私の個室には、ベルベットのソファと、向かい合わせに赤いビニールのシートがあり、シートは持ち上げるとトイレとして使えるようになっていた。頭上には荷物棚があり、壁にはコートクローゼット、シューズロッカー、薬箱、そして石鹸、タオル、紙コップが完備された折りたたみ式の流し台がある。しかし、水は飲めない。天井には扇風機がつき、ドアと窓にはカーテンがかかっている。

各車両には白いジャケットを着たポーターがいて、夜は淡々とベッドメーキングをする。ベッドは壁から引き下げられ、個室スペースの大半を占めるようになる(私は廊下からベッドに入った)。マットレスは狭いながらもしっかりしていて、枕とプルマンのエンブレムのついたウールの毛布があった。

一方、お湯は出ず、エアコンは効かないし、窓も開かない。ポーターは突き放した態度になる時があり、帰りの個室では水漏れがあり窓も割れていたが、特に何かをしてくれくれることはなかった。

当時の車両とポーター


しかし、アステカ・イーグルに乗るという経験は、その欠点のほとんどを覆い隠してしまう。朝、ベッドに座って砂漠の景色を眺める。乾燥した藪の平原が延々と広がり、浸食されて出来たテーブル状の台地(メサ)や険しい東シエラマドレ山脈につながる。動物が草を食み、ダストデビルが農家の畑で飛び跳ねている。そして、先住民の飲み物であるプルケやテキーラ、メスカルを作るリュウゼツランはどこにでもある。

そして繰り返し目にする光景。線路沿いに建てられたトタン屋根の掘っ立て小屋に住む、ボロボロの服を着た貧しい人たち。牛やロバ、ヤギ、そして子供たちが片方の手に抱かれて立っている。個室寝台の厚いガラス越しからでは、何を話しているのかわからない。


翌朝の午前8時、列車は古い銀鉱山の町カトルセに近いエスタシオン・カトルセに停車した。1773年、豊富な銀鉱脈の発見で誕生したこの町は、かつて4万人の住民で賑わっていた。現在では600人が住んでいる。標高2743m、北米で最も標高の高い都市の1つである。

ポーターは、廊下でベッドメイキングをしていた。列車はワドレーで一休みして北回帰線を超え、小さな駅のモクテスマで停車して、午前10時、1860年代には一時的に首都となった大都市、サン・ルイス・ポトシに入った。

サン・ルイス・デ・ラ・パスでは、鉄道員たちが線路の外側にある貨車で生活していた。堤防や暗渠、橋の修理のために、彼らやその家族はあちこちに移動する。貨車中央のドアに上がる木製のはしごの上に、女性が腰を下ろしていた。

ケレタロには午後3:40着。車窓からは、250年前にスペイン人が造ったという長い水道橋が見え、コロニアル様式の美しい教会もいくつか目に入った。ケレタロはサン・ルイス・ポトシと同じくメキシコの州都であり、メキシコの歴史の証人でもある。アステカ帝国の一部であり、スペインに対する反乱の中心地となる。1867年にはオーストリア人の皇帝マクシミリアンが銃殺刑に処され、1917年には現憲法が起草された場所でもある。メキシコの長年の支配政党である制度的革命党(PRI)は、1929年にここで組織された。

ケレタロの水道橋

午後6時半には、ウイチャパンという小さな町に入った。この町の駅については、ポール・セローの本『The Old Patagonian Express(オールド・パタゴニア急行)』の「アステカ・イーグル」の章で雄弁に語られている:

ウイチャパンの整然とした駅には誰もいなかった。誰も乗らず、誰も降りず、旗を持った信号係だけが列車の外に出てきた。ここでも他の場所と同じように、朝、川で洗った洗濯物がメキシコ式に干されていて、トゲトゲのサボテンが、干された洗濯物を纏ってしゃがんだ姿になっている。
ウイチャパンのプラットホームで偉そうに振動する列車はその場所にある種の壮大さを与えていたが、私たちが出発して振り返ると、小さな駅には孤独が漂っていた。埃が地面に舞い、サボテンたちはボロい服を着て、まるで残された乗客の幽霊を真似たように、しゃがんだ姿勢のまま残っていた。


午後10時半には、私たちはメキシコ盆地に入り込んでいた。フラッグストップ(駅以外での停車)や通過待ちを含めて、すでに80回ほど停車している。このあたりは、明らかに人口密度が高く、山肌にも街灯や家の明かりが点在している。1325年にアステカ族が定住した西半球で最も古い都市であり、1700万人近くが住む世界第2位の都市圏に入ろうとしているのだ。

列車が時間通りであれば、雪をかぶった壮大なポポカテペトル(ナワトル語で「煙る山」の意)を見ることができただろう。この休火山は、1943年に最後の噴火を記録している。標高約5400メートル、北米で最も高い山のひとつだ。

午後11時、アステカ・イーグル号は終着駅に到着した。メキシコシティの巨大ターミナル、ブエナビスタ駅である。わずか3時間の遅れだった。外には、1910年製の機関車が、メキシコの発展に果たした鉄道の役割に敬意を表して、静かに佇んでいた。空気はひんやりと乾いていて、街は光に輝いている。首都の街や博物館で新たな冒険を始める前に、一息つくことができた。

 

夜のブエナビスタ

在りし日のホーム


ジョン・ペロッタ(John Perrotta)は、ワシントンのジャーナリスト、弁護士、言語学者

 


方法と手段

30日以内のメキシコ滞在の場合、ツーリストカードのみを提示すればよく、カードはメキシコ政府観光局、メキシコ領事館、航空会社、旅行会社、ヌエボ・ラレド税関で入手可。料金は無料で、米国籍を証明するもの(パスポートまたは出生証明書)の提示が必要。

行き方アムトラックでサン・アントニオ(テキサス州)まで南下し、さらにバスでラレドまで3時間半。国境を越えてヌエボ・ラレドまでの短距離移動にはタクシーが利用できる。車の場合は、ラレドにもヌエボ・ラレドにも車の預かり所あり。

アステカ・イーグルは毎日午後6時55分にヌエボ・ラレドを出発する。予約はできないが、ほとんどの場合チケットは入手できるだろう。2等車料金は約$10、1等車料金は約$15。寝台の利用には1等車のチケットが必要。上段または下段寝台付きの1等車チケットの料金は約$17、ルーメット(1人用寝台個室)の1等車は約$20、ベッドルーム(多人数用寝台個室)1等車は1人あたり約$24(最低2人から)。すべての設備タイプが利用できない場合もあり。

ヌエボ・ラレド駅のチケット窓口は、月曜日から土曜日(祝日を除く)の午前10時50分から午前11時50分、午後5時30分から午後6時55分まで営業。途中での下車も可能だが、切符を買うときに駅員に伝えること。

食事:列車には食堂車があり、主な停車駅でも通常売店があるが、食べ物や飲み物は各自で用意した方がよい。

情報:詳細については、メキシコ政府観光局(Suite 430, 1615 L St. NW, Washington, D.C. 20036, 659-8730)まで。

 

原文はこちら

ティファナとサンディエゴ

メキシコとアメリカの国境を歩くシリーズ。

シウダー・ファレス&エルパソに始まり、レイノサ&マッカーレン、ヌエボ・ラレド&ラレドに続く4か所目として、大本命のティファナ&サンディエゴに行ってきた。

 

中国と香港・マカオ国境、シンガポール・マレーシア国境あたりとも肩を並べる巨大国境は必見だと思うが、人生の後半でやっと初訪問。結構後回しになったなあと思う。

二の足を踏む原因は、やはりアメリカ国境の街の治安の悪さだ。日本の海外安全情報でも、メキシコシティは危険度1だが、国境沿いの街は危険度2になっている。麻薬カルテルの縄張り争いで、日々多くの死者が出ている。去年は日本人のラーメン店主も殺された。では街はどうなっているのか?人が離れて衰退する?答えは全く逆だ。

 

メキシコは基本的に北部の国境に近いゾーンとその他で最低賃金が分かれていて、北部の方が高い。生活水準も高いといえる。マキラドーラという国境沿いの非関税地区には世界中のメーカーが進出しているし、景気はいいので人はどんどん集まってくる。ティファナ市民は、合法的にサンディエゴで働いていることも珍しくない。



今回もまた、LCCで新空港から出発。大体飛行機のチケットは半年とか数か月前くらいに取ると安いので、事前に買っておく。そうすると、今回のように麻薬組織が街に外出禁止令を出し、バスが片っ端から燃やされ、帰宅難民化したバス待ちの混乱とゴーストタウンの街の写真がニュースに出回った翌週に出向くことになる。

まあそんなことはめったにないからニュースになるのだが、今回はナイトクラブも一日閉店したとのこと。ティファナのアメリカ大使館は、この夜、ソーシャルメディアでも警告を出していた

行く前に下調べをすると、大体そんな感じのニュースしかない。週末の死体カウントは、高速道路に毛布でくるまれた死体、ティファナ川に上がった死体を捜索する警察など・・そうか、この川を渡ってアメリカへ歩いていくんだな、という感じだ。

翌週ニュースは一段落し、Twitterあたりで検索すると売春をお楽しみ中のtweetが出てくるだけになったので、行くことにした。



国境の行き方や観光に関しては、まあ色々とネットに情報はあるので大体その通りだと思う。
メキシコの空港は構内でタクシーを頼むと結構高いが、一般道まで出れば路線バスやタクシーが見つかる。Googleマップストリートビューを見て見当をつけ、車の駐車場の方へ回って通りに出たらバスが待っていた。市内バスは14ペソ。帰りはDiDiで100ペソ弱。

ティファナのバスの運転は荒いと言われていて、メキシコのネットでもネタになっている。確かにメキシコシティでも見ない、なかなかの運転だった(メキシコシティのバスに比べ、車が新しいのもあるかも)。一方、国境を挟んでサンディエゴの路線バスにも乗ったら、追い越しの車が完全に追い越すまで発車しないという安全運転ぶりで、苦笑するしかない。人種的には同じなのに、そこには国境がある。

 

国境で捨てられていたマスク。メキシコはマスクが多数派だが、アメリカでは少ない



ティファナはかなり起伏のある街だ。空港からセントロに向かうバスは、急坂をカーブして下っていくのだが、崖にへばりつくようにして民家が密集する光景を見ることになる。サンパウロのファベーラなど、中南米でよく見る光景だ。
起伏があるのはサンディエゴも同じで、サンディエゴのダウンタウンからアジア系の店が集積するコンボイエリアに行くのも、ミッションバレーという谷やら、ちょっとした起伏を超えていくのだが、アメリカでは勾配がある美しい郊外が広がる。
隣同士の都市なので、実質的には同じような地理条件になるのだが、開発のされ方、見え方が全く異なるところが面白い。

そんな感じで、この両都市を箇条書きにしてみよう。

ティファナは・・・

  • お世辞にもきれいな街とは言えない
  • 景気はよさそう
  • メキシコの感覚からしても物価が高い
  • アメリカ人を気持ちよくして金を取ることに最適化されている
  • バスはやたらと速く走る

サンディエゴは・・・

  • 美しい
  • 高級コンドミニアムタワーに青い空、ピカピカのトラム
  • ロスよりは安いものの、まあため息しか出ない物価
  • ダウンタウンはホームレスがいっぱい。排除アートも久しぶりに見た
  • カリフォルニア的郊外に広がるアジアンタウン。歩行者もホームレスもいない
  • バスはとても安全運転

東京でもよく見る感じの、サンディエゴの排除アート

 

メキシコ側からアメリカは、列に並び始めてから大体1時間半くらいかかった。「アグア・デ・ハマイカー、トレス・ドラレス」とメキシコで考えると想像もつかない値段で飲み物を売りに来るので、並ぶ前に水だけは買っておくべきだ。

外国人はゲートから入って、右手側のオフィスで6ドルの支払いと、チェック。その後もう一度列に戻り、入国審査ブースにて審査だ。

アメリカ側からメキシコは、外国人のみメキシコ入国のチェックがある。私はメキシコのレジデントカードがあるのだが、今回初めてメキシコ人用の通路に案内され、ノーチェックで入国できた。

やっとメキシコ人扱いをしてもらえて、正直うれしい。

 

ちなみに1時間半とか2時間列に並ぶのは耐えられない、という場合、ティファナの空港からアメリカに直接入るCBXという橋もあるのだが、18-25ドルかかる上、シャトルバスも高い。なかなか資本主義的で興味深いビジネスだなと思うが、子供を連れて家族で行くとかいう場合は、私も使うかもしれないなと思う。

 

サンディエゴの最低賃金は15ドル。スペイン語表記だけ


サンディエゴもティファナも海産物が豊富で、サンディエゴはウニが有名だ。日系スーパーのNijiya Marketでは、ウニが山盛りで売られていたし、日本料理店ではうに丼時価)がメニューにも載る。

そしてティファナとかメヒカリとか、国境沿いはマイクロブルワリーのビールが結構有名なようだ。暑い中ふらふらしていたらビールが飲みたくなり、2杯飲んだら酔っ払い、私のティファナの夜はあっけなく終了した。


EL PAISというスペイン語の国際紙が、外出禁止令後のティファナに関する記事を出していて、ざっとdeepl翻訳で読んでみた。(メキシコに住んで3年以上たつが、そのレベルの語学力だ)

光都市として活気があり、多くの工場を抱え、文化的な生活も充実している街は、「経済成長を維持するための通行料として、暴力という小悪に慣れてしまっている。」
毎晩のように撮影される遺体という日常が戻ってきたが、日々の生活には何ら支障をきたさない。
自らを精神的に守るために、「悪い」犠牲者を軽蔑する風潮と、「殺し合いはしてもいいが、市民は安らかに眠らせろ」という発想。

スペイン語のこういう文章は日本の新聞などと異なり、詩的だなあと感じるが、なかなか上手いと思う。



ちなみに今回一番ヒヤッとしたのは、サンディエゴからサン・イシドロの国境に向かうトラムの中で、ブツブツ呟いているおっさんが自分の隣の席に座り、いきなり折り畳みナイフをパカっと開けた時だった。まあ・・・アメリカも色々ある。

迷い込んだ気分になった町

カンクンなどユカタン半島にある観光地は、ビーチを目指してカナダとかアメリカ、ヨーロッパから大量に人が来るのだが、パッケージには大体オマケのようにマヤ文明の遺跡ツアーが付いてくる。

ビーチのオールインクルーシブで呆けているだけでは充実した休暇にならないし、かといって、遺跡をくそ暑い中巡り続けるだけというのは(一部の人を除いて)メインの休暇になりえない訳で、現代人の求める「ホリデー」には偽善的な教養主義と冒険主義が一部含まれるべきだというのは、たいていの場合仕方がないものらしい。

そんな訳でカンクンに行くことをずっと拒んでいたのだが(まあ宿が高いのが一番の理由だ)、メリダの便が往復5,000円ほどで買えたので、セレストゥンというビーチの街に行って、1日はマヤのピラミッドでも見るか、という感じで出かけた。

 

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セレストゥンはカンクンのような巨大な国際リゾートではなく、フィリピンのプエルトガレラのような、自国民と物好きな先進国民向けのリゾート地という感じで、海岸にそこそこの民宿がゾロゾロあるようなところだ。近くに塩湖があって、そこでフラミンゴの群れが見られる。マングローブの森をボートで抜けて見に行くのが定番のようだった。

フラミンゴは西アフリカ・モーリタニアの海岸で見たしなあ、と思いながらも、なかなかの眺めだった。

ピラミッドのUxmalは近いといっても車で150kmくらい走る。まあ運転する分にはそれなりに楽しいのだが、子供にとっては単なる退屈な時間になる。ユカタン半島の道は形容しにくいが、そこまで密ではないジャングルを切り開いて一直線に通した高速道路をひたすら走るような感じだ。

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高速を行って帰ってくるのもなあということで、10kmくらいに一度くらい現れるちょっとした町を結ぶ、ショートカットの地元道を通ることにした。このあたりの町は、石を疎にくみ上げて塀にしている家が多く、沖縄の伊是名で見た組み方とよく似ているなあと思いながら通り過ぎる。

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沖縄・伊是名島

とはいえ、たいていの家自体はよくあるメキシコの家の感じで、レンガとしっくいで立方体の平凡な感じなのだが、高速に合流する最後の町だけが少し印象が違い、茅葺屋根の家が多く、一瞬不思議な場所に迷い込んだような感覚を受けた。茅葺に白い石の塀の町。


帰ってから調べると、Kinchilという町で、どうやら町の方針でこの茅葺の保存に務めているらしい。Google Mapsストリートビューで今は何でも見られる。屋根はPalma de guano、グァノ椰子の葉を使って葺くらしい。典型的なマヤの家は、茅葺と石灰岩の石で作るとのこと。

アメリカの大学のサイトで、このあたりの民俗をまとめたフォトギャラリーがあった。一枚拝借。

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半数くらいの家に下水設備がないのに、茅葺屋根の保存が先なのか?という記事もあるが、正直マヤの世界遺産ピラミッドよりも、こういう家々と町を見ることの方がよっぽど強い印象に残っているので、保存はぜひ続けていってもらいたいと思う。