メキシコ中間層の苦境

よその国にちょっと住んだくらいで何がわかるのかとか、旅行してどうするんだというのは、まあ概ね正しい批判だと思うし、そもそも偉そうにわかった気になって語るのは恥ずかしいものだ。とは言え、それでもやらないよりやったほうが良いのは、物事の理解というものが、自分自身の肌感と、言語化された何かとの合わせ技のような気がするからだ。

 20年ほど前に中国の広州にいたとき、一度だけ知人に会ったのだが、「街が臭いですよね」と言われて、おおお、そう言われるとそうだなと思い、その瞬間から自分の中で街の匂いというものが鮮明に感じられるようになった。なかなか不思議なものだなあと、とてつもない湿度の街を歩きながら思ったことをよく覚えている。

体験というものは結構バラバラなもので、個別に漂っているものが、なぜかものすごく言語化が上手い人とか、旅行記とかと出会って、それが結合されて腑に落ちるようになる。いかんせん事後だったりすることも多いのだが、そういう消化のプロセスが結構重要なんだな、と最近になってわかってきた。



を読んで感じたのもそういうことで、メキシコの中間層の現状をうまくまとめていると思う。

中間という言葉には、宿命的に上と下に挟まれ、転落に怯え上に向かって努力し続けなくてはならない、という意味が含まれているのは世界共通だと思うが、層としてどこまで大多数で、どんな共通意識を持っているかは、国による。メキシコだと、統計的には半数程度が中間層、36%が下流層、19%が上流になるとのこと。

中間層と聞くと、日本だとサラリーマン家庭というイメージが強くて、まあバブルの頃までは、国民の大多数を占め、安定の代名詞だった気がする。しかし、ここで指摘されているように、メキシコでは中小規模の自営業者という感じが強い。そうすると、景気変動の波をもろに被るので、中間層=守られているという感覚が逆になり、脆弱な層となる。

引き続き国全体としては貧しいので、政治は全体として貧困層に目が行きがちな上、金持ちへの課税が弱いので、中間層は受益以上の負担感がある、というのも頷ける。

「メキシコには2つの中間層が足りない」というマッキンゼーのレポートが2019年に出たらしいが、しっかりした中堅企業と消費力がある中間層が弱いという分析で、先進国のように、中間層が安定し経済の主役になっていないことは明白だ。

 

 

先月の6月に、日本の統一地方選挙のような感じの選挙があったのだが、メキシコシティの各区の区長選で、結果が与野党できれいに東西に分かれ、これが地区の所得と連動しているのではないか、という話題が盛り上がっていた。

なかなかそういうことを理解しながら大統領の発言を読むと、非常に味わい深いものがある。彼の頭の中では、「上流+中流 VS. 下流」という構造となっているようで、これは確かに中間層にはあまり心安らぐものではないだろう。

 

He has called middle-class Mexicans “individualist” and accused them of wanting “to be like those above and climb as high as possible with no scruples”.

The president conceded that people should want to “improve” themselves, but clarified that they should “not become selfish and aspire to be snobs”.

 

"Los más afectados (en las alcaldías de) Iztapalapa y Tláhuac,de gente humilde, trabajadora, buena, entiende que estas cosas desgraciadamente suceden y ahí no impacta política, electoralmente. Sin embargo, en las colonias de clase media y media-alta, ahí sí", dijo AMLO este martes.

 

一方で彼の発言には個人的に頷ける面もある。私はメキシコシティのローマとかポランコのようなSnobsの「金持ち地区」があまり好きではないのだが、外国人なので、あんまりそこらで売っていない食べ物を探さざるを得ず、そういうものは全部この辺にしかない。

心の準備をして渋々行くのだが、何でもかんでも気取っていて、クソみたいな健康志向とか、たかがタイのグリーンカレーのくせに2,000円以上になるクソみたいな値付けのレストランだらけの癖に、界隈の運転マナーは相変わらずクソなので、向上しているものを間違えている気がして仕方がない。

嫁と話していて、この辺は「向上心がある人」が住む場所ね、と言っていて、上手いことを言うなと思ったのだが、単純に「金持ち地区」と呼ぶよりはもう少し中間層寄りのような気がするし、こちらのほうが正しい感じがする。

そういう意味では、私は昔から向上心がなく、興味だけでここまで来てしまった。現地採用の低賃金に打ちのめされて真面目に働くことを半ば諦めさせられた状態でもあるので、メンタリティとしても全く馴染めない。

 

以前知人から、子供のころ、親に「うちは貧乏なの?」と尋ねたことがあったという話を聞いたことがある。しかし、知人の両親は共に医者で、貧乏な訳もない。それでも子供心には、生活がいつも質素でそう感じられたらしい。地方都市在住で医者夫婦の家庭を中間層とは言わないが、日本の中間層の生活というのは大体そんなもんだろう。それに比べて、こちらでは顕示的消費が何でこんなに好きなんだろうな、というのに行き着くのかもしれないが、そういう街はどうしても疲れる面がある。


 

メキシコで暮らし始めて、土地やら建物の固定資産税、投資に対するリターンの税、相続税といったものが明らかに日本と比べて安く(まあ日本も高すぎる気がするが)、金持ちが永続化されるような仕組みが嫌でも目につく。

以前から、なぜ中間層が上流に見方をして、例えばビセンテ・フォックスのような人が大統領になるのか、というのが謎だった。世界一の肥満でソフトドリンクの飲み過ぎが問題の国で、コカ・コーラボトラー会社社長の億万長者が大統領になるなんてまさにジョークじゃないかと思っていたのだが、本来、「上流 VS. 中流下流」で戦わなくてはならないのに、中間層も痛めつけられているので、そっちに行っちゃうのかな、という気もする。

先日も子供の幼稚園の話を嫁としていて、モンテッソーリの幼稚園の月謝と、そこで働く先生の給料が同額くらいという話になった。今回のコロナの騒動で、先生はさらに給料半額を提示されたそう。先進国並みに高いプライベートセクターの教育費と、恐ろしい低賃金というのは本当にどうにもならんのかなと思う。

その先生の子供は間違いなくその学校に行けないし、そんな状況で先生がどうモチベーションを持って働き、子供がちゃんと先生を尊敬するのか・・という気がしてしまうのは、自分だけなのか。理念を実践するのが教育じゃないのか?

 

まあそれでも毎年出る国際比較で幸福度は高い国、メキシコ。色々と興味深い。

 

■中間層を歩く

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南米 - 無職の日々