Selenaとか人種とか

NetflixでSelenaを見ている。主人公はテキサス発祥のラテン音楽、テハーノ・ミュージックで有名な女性歌手で、20代半ばの若さでファンクラブのマネージャーに射殺されるという、悲劇的な最期を迎えたことでも有名だ。
ラテン、ヒスパニック、テハーノ、様々なくくりを示す言葉があるが、街並みや暮らしなど、映像は90年代のアメリカ的風景に彩られている。

この人たちは一体何者なのか、というのは今も続く複雑な問いで、ヒスパニックはアメリカの区分では人種ではなく、ラテン系というのはあんまり自称しないようなのだ。
また、メキシコでも、地理的な分類では北米に入るので、日本人がいう中南米系という概念で話すときに、少しずれを感じる時がある。


揺れる人種の概念 混成化が進むアメリカ」という記事を読んだが、いろいろとそのあたりを考えながら読むと面白い。
ヒスパニックの半数以上は自身を白人と思っており、白人の定義にはレバノン人、アラブ人なども含まれるなど、そういうものなのか、と思う。

最終的には自意識の話になるものの、色と見た目である程度グループ化が繰り返されるという感触は、確かにメキシコにいて、痩せたヨーロッパ系に見える人たちばかりが出てくるテレビCMを見ていると、頷かされる面もある。

 

西アフリカを周っていた時、ガーナで、褐色系の人が「あいつはほんとに真っ黒だなあ!」などと言っていたことを思い出す。そして、自分も吊り目のアジア系な訳だが、息子がどういう自意識になるのかも、興味深い。