メキシコシティのエピクロス

BY ALAN GRABINSKY

知の普及に尽力してきたダニエル・ゴールディンは、今、様々なメキシコ人達に向けて、読書や休息、遊びを楽しめるパブリック・スペースを作ろうとしています

  

f:id:otsuka39:20210813081422j:plain立った耳、分厚いメガネに後退した生え際。ダニエル・ゴールディン氏(右写真:Daniel Goldin by ANNA VON BRÖMSSEN/CREATIVE COMMONS)は、いかにもステレオタイプな読書家といった感じを受ける。

ラテンアメリカで最も著名な公共図書館の1つで、メキシコのユダヤ人建築家アルベルト・カラッハによる巨大な格子状の書庫で有名な、ヴァスコンセロス図書館にて館長を務めた彼は、生涯を通じて本には不自由していないように見える。

一人当たりの読書量が世界で最も低い国のひとつであるメキシコや、20世紀末にやっと識字率が90%を超えたラテンアメリカ。そんな場所で、彼は読書習慣を普及させることに人生を捧げてきた。

1990年代には、アメリカのスカラスティック・シリーズのような児童書シリーズ「A la Orilla del Viento / 風の川辺」を創設し、スペイン語圏の子どもたちに向けて、このジャンルの再定義を行った。30年の歴史を持つこのコレクションは、300種類以上の本を出版し、ラテンアメリカやスペインの若い読者達に影響を与えてきた。

 

私はゴールディンのファンの一人として育った。9歳のころには、彼がスペイン語に翻訳した、アンソニー・ブラウン著の、シャイで本好きな若いゴリラの絵本「Willy the Wimp / こしぬけウィリー」に夢中になっていた。彼が企画したブックツアーで、メキシコシティで著者に会うことまでした。壁にかかっていたWillyの絵のことを覚えている。

 

ハイデガーマルクススペイン語圏に紹介し、オクタビオ・パス、カルロス・フエンテスフアン・ルルフォの処女作を出版したことで著名な、メキシコの権威ある政府系出版社Fondo de Cultura Económica(FCE)から「A la Orilla del Viento」の創設を任されたことは、ゴールディンにとって大きな挑戦となった。

彼は、子ども向けの本に人々が何を求めているのかを探るために多くの本に目を通し、その内容がどれも「あまりにも定型的」であると思い知らされた。彼は子どもを大人として扱うことにした。つまり、子どもの「成長」のためではなく、自分自身のために読書を楽しみ、読者が広い世界と関わることを目的とした作品を出版することにした。

彼が最初に翻訳した本の1つは「The Bridge in the Jungle / ジャングルの橋」で、ペンネームだがドイツ人と思われるB・トレーベン(「シエラ・マドレの秘宝」も書いている)による200ページの小説で、ドイツの社会主義新聞「Vorwärts/フォルヴェルト」に連載されていたものだ。ラテンアメリカ、特にメキシコ南部のチアパス州におけるキリスト教と原住民文化の違いを扱った作品で、父親が司書として働いていた、メキシコのユダヤ人向けスポーツセンターから借りてきた、子供の頃のお気に入りの一冊だった。

 

ゴールディンの父はポーランドに生まれ、3歳でアルゼンチンに移住し、その後、左翼シオニスト運動の青年団「ハショメル・ハツァイル」の一員としてキブツ・ネグバの設立に携わる。そこで、1920年代にトルコからメキシコに移住してきたセファルディック系のユダヤ人で、同じようにハショメルのメンバーだった母親と出会った。ゴールディンは後ほど、父親がハラスメントの疑いでキブツを追い出され、一時、妻と一緒にイスラエルのアシュケロンに移り住み、夜警として働いていたことを知ることになる。

 「自分のルーツを求めてアルゼンチンを旅したときに、そのことを知りました。」彼はいう。「探求を始めたいと思うとき、問いは重要です。名前をつけて言葉にするという行為は、絶対的な解放感をもたらし、この逆説的な世界で生きることを可能にしてくれるのです。」

 

両親はアシュケロンで数年過ごした後、メキシコに住む親戚の援助によりメキシコシティへ移住する。1958年、ゴールディンは家族の四男としてメキシコで生まれた。

一家が住んでいたのはNarvarte/ナルバルテという地区で、ゴールディンは「貧しいユダヤ人が多く住む地区」だったと言う。両親はどちらも高等教育を受けていないが、父親は熱心な読書家だった。家ではスペイン語ヘブライ語を話した。「誰もポーランド語やトルコ語は話しませんでした。それらは離散先の言語であり、シオニストの教育によって否定されたのです。」


La Ciudad de México en el Tiempo: Colonia Narvarte

 

高校を卒業し、イスラエルでギャップイヤーを過ごした後、1978年にゴールディンはバックパックいっぱいの本を持ってサンフランシスコに旅立つ。フリオ・コルタサルの「石蹴り遊び」、アレン・ギンズバーグの詩、ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」、アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」、オクタビオ・パスの訳書「Versiones y diversiones」などである。ジャック・ケルアックの影響を受けて、ヒッチハイクアメリカを横断し、ニューヨークを訪れた後、スペインのバルセロナでは、後にスペイン語圏で最も影響力のある小説家となるロベルト・ボラーニョとも出会う。バルセロナでの2年間の滞在では、作家兼画家を目指した。

1980年にはメキシコに戻り、校正者として働き始める。校正は苦手だったと、彼はいう。やがて、友人のアルゼンチン系ユダヤ人編集者アレハンドロ・カッツがいた、Fondo de Cultura Económica社にて働くことになる。

 

ゴールディンは、児童書シリーズ「A la Orilla del Viento」の立ち上げを任され、1991年から2009年までこれに関わった。その後、出版、読書、執筆に関する書籍の選集「Ágora」に携わり、ミシェル・プティの「The Art of Reading in Times of Crisis」や、ラビであり哲学者でもあるマルク=アラン・ウアクニンの本「Bibliotherapy」(リオ・デ・ジャネイロのファベーラなどの貧民街で行われている読書スペースと読み書き講座が、暴力を減らすのにどう役立っているかを記している)などを紹介した。

また、2006年のビセンテ・フォックス大統領の任期末に行われた、メキシコで初めての読書に関する全国調査の策定とコーディネーションを行い、その調査結果をヴァスコンセロス図書館の講堂で行われた公開イベントで発表した。その時は、まさか自分がその後にこのような巨大施設の館長になるとは夢にも思っていなかった。

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Biblioteca Vasconcelos, photo by Diego Delso CC BY-SA delso.photo

 

ゴールディンは、彼が言うユダヤ教弁証法的・批判的な伝統、つまり、特定のテーマを掲げ集中的に議論することに、強い興味を持っている。「世界は常に解釈されるものであるという考えは、私にとって、世界中に散らばって住むユダヤ人に典型的なものです。」一方で、スピノザフロイトのような、ユダヤ人思想を流用して作られた感のあるユダヤ人のナショナリズムには、あまり興味はない。彼らはユダヤ人のコミュニティと対立的ではないにしても、アンビバレントな関係だった。

「私は反イスラエルではありませんが、ユダヤ人の流浪の考え方に主な興味があります。流浪の中で生きることが、存在論的な条件になるのです」とゴールディンは言う。「私にとって重要なのは、完全に異なる他者を受け入れるために、自らの家を開放するという原則です。デリダフロイトスピノザなどのユダヤ人思想家は、人間の主体は何度も何度も発見されるべきものであるとしています。」

 

ゴールディンは、2013年から始まったヴァスコンセロス図書館での任期中に、このホスピタリティの原則を実践することになる。建築評論家が、21世紀のメキシコにおける最も重要な公共事業と評価しているこの巨大な建物を、新しい形の社会的関与のための巨大な実験室に変えた。開館時間外のモダンダンスショー、数学の勉強会、初産婦のための1カ月間の育児情報講座、見ず知らずの人と座って話をする「人間図書館」などを企画し、図書館は年間200万人の利用者を迎えた。

2019年から始まったアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領の政権は、主に政治的な理由で、「旧体制」の一員とみなされていたゴールディンを追放したが、この決定は、政治的な立場を超えて、図書館での彼の仕事やリーダーシップを評価していたメキシコの知識人や図書館の愛好者たちから、反発を招くことになった。

この記念碑的な建物は、その後、集団予防接種の会場となってしまった。一方、ゴールディンはメキシコの公共圏がますます分極化し、断片化が進む状態への解決策として、再びスポットライトを浴びるようになっている。その戦略とは、当然のことながら「本」である。

 

ゴールディンは最近、歴史上の名園にヒントを得て、メキシコシティJardín LACを設立した。これは市民団体であり未来の公共空間となる。「読む、聞く、歩く、語る、考える、休む、学ぶ、働く、遊ぶための場所」として、さまざまな階級や背景をもつメキシコ人たちを結びつけることが目的だ。Jardín LACのデザインコンセプトは、「エピクロスの園」をエコな視点で再解釈したもので、社会や人間の多様性と、生物多様性(biodiversity)の両方に焦点を当てる。

人類学者のNestor García Canclini氏、ハーバード大学客員研究員で教育専門家のElisa Bonilla氏、政治学者のMauricio Merino氏など、著名な知識人がボードメンバーとして並ぶ。

 

コロナのパンデミック以前には、ゴールディンは、メキシコで唯一、スペイン植民地時代から続く教育機関で、孤児や売春婦など社会から排除された人々のためにバスク人が設立した、Colegio de las Vizcainasからもアプローチを受けていた。しかし、コロナによってその計画は中断されている。 

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Colegio de las Vizcaínas Photo by YoelResidente CC BY-SA

現在のプロジェクトがどのような展開を見せるかはわからないが、彼は「読書は本質的に市民的で社会的な行為である」という生涯にわたる信念を固く守っている。「スペイン語ラテン語では、世界という言葉は、”きちんと整った”という意味です。*1それは選択の行為です。読書は、この世界に暮らすための手段なのです。」

 

(原文はこちら

 

*1:スペイン語で「世界」を意味するMundoはラテン語のmundusから来ている。mundusは「きちんとした、きれいな」という意味で、ギリシャ語の「秩序、配置、適合、落ち着き、完璧さ」を翻訳するために使用された