地震後に目立つ日本の分断状況:リチャード・サミュエルズ インタビュー

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2年前の今月、東日本大震災と津波が日本を襲った。東北を中心に大損害と15,000人以上の死者を出し、そしてその数日後、様々な救援活動が行われる真っただ中で、福島第一原発の原子炉はメルトダウンした。

津波とその余波は忘れることはできないものの、2年を迎えて被災地の復興は本格化している。しかし、復興が進むに連れて、いくつかの本質的な疑問が浮かんでくる。「今回の惨劇から日本は何を学んだのか?」「救援はどれだけ効果的に行えたのか?」「一体今回の問題は誰のせいだったのか?」

答えはまだはっきりとしない。しかし地震後初の国政選挙で有権者は政権交代を選び、安倍首相と自民党が政権に返り咲いた。

 MIT教授で日本研究者のリチャード・サムエルズによる本「3.11: Disaster and Change in Japan」は、今回の地震が日本にもたらした政治的・社会的影響とそのインパクトについて考察している。

今回の本及びこの2年間で見た日本の変化と連続性について、Asia Blogによる著者インタビューをお送りする。

  

― 3.11の地震と津波が日本人の生活と政治にもたらした、明確なインパクトは何でしょうか?

 

三陸の沿岸で今回の悲劇を体験したような人、特に家や家族を失ったりした人にとっては、変わらなかったことなど何ひとつないでしょう。

しかし、一般的な日本社会と政治への明確な影響に関しては議論が分かれています。両面の考え方があり、3.11がコミュニティの再活性化と政治プロセスの透明化をもたらしたと楽天的に評価する人がいれば、もう片方には、これだけの被害にもかかわらず、この国の根幹は揺さぶられてはいないと悲観的に考える人もいます。

どちらも正しいとは言えますが、私個人としては、「3.11は社会の変革をもたらす」とか、「日本の新たな歴史の章が始まる」といった多くの壮大な未来予測に興味をひかれました。

3.11に関しての議論では、様々な強い主張が大量に溢れ、日本の政治や社会は沸騰し、コミュニティや社会の絆に関する重要性が繰り返し語られました。しかし、政治が「生まれ変わる」ことはなかったし、生活が「リセット」されることもなかったのです。

  

― あなたは本の中で、日本のリーダー達は3.11に対して 1) 変化を加速させる、2) 現状維持、3) 逆コース という対処方針を主張し、2)のグループが勝ったと結論づけています。どうしてこのように考えたのでしょう。また、海外で今回の地震ががこれほど変革をもたらすと考えられたのはなぜでしょうか。

 

それぞれの政治家は今回の災害に関しても首尾一貫した主張をしていましたが、その主張は常に彼らが「真実」であると考えていることと一致していました。

地震の前から公共企業が悪だと考えていた政治家は、地震がそれを証明したと主張しましたし、以前から民主党が無能な成り上がり集団だと思っていた政治家は、今回の地震で新たなその証拠が見つかったと言い、自衛隊と日米同盟の支持者は戦後の防衛体制の整備に関する重要性を改めて主張する、というような具合です。日本と世界は、地震で「proof of concept(概念を実証する機会)」を得たのです。

 観察してきたことを少々誇張して言うと、政治家たちは今回の「地震」も自分の新しい武器として取り込み、競争を繰り広げていました。戦争論のクラウゼヴィッツ風に言えば、3.11は通常の政治への追加的な延長手段でしかない、ということです。

以前の状態こそが既成の政治がもたらした結果であり、本の中でも述べたことですが、様々な動き(自治体やボランティアの素晴らしい活動も含め)やいくつかの政治的変化にも関わらず、日本は現状維持の空気に覆われています。

日本にいきなり元気が溢れかえるようにはならないでしょうし、地方分権が進むこともないでしょうし、原子力を放棄することもなく、新しい方向へ急激に進むということはないのです。

 

― この本のリサーチのために1年日本に滞在し、大きな変化を見つけたと思っていますか。

 

ひとつ正直に話をしましょう。今回のプロジェクトの当初、私は今回の地震によって、日本に待ち望まれていた政治や政策の転換がより行われやすくなるのではないかと想像していました。

2011年5月に来日した私は、今回の仕事に「国家の再生?」というテーマを想定していましたが、今では少なくとも最後に「?」は付けていたんだと自分を慰めるしかありません。滞在3ヶ月で、政策を主張する人々が地震からそれぞれに異なる教訓を引き出し、縦横に説を展開していたのを目にして、当初のテーマは「危機のレトリック」に変更せざるを得ませんでした。

政治に関わる人々の大半が、今回の悲劇を目前にしても、自身のスタンスを変えようとしないことに強い印象を持ちました。いくつかのレアケース(原発推進から反対へ舵を切った菅元首相が有名です)を除き、3.11以前の政治家達の立脚点を理解していれば、その後の主張の立脚点も自明となっており、この地震に関してもそれぞれが主張する問題点とその解決策に関する論の組み立ては容易に想定できたのです。

 

― 「日本復活」と経済改革のメッセージと共に、安倍新総理が先日米国を訪問しました。今回の地震は、日本にどのような政治的変化を起こしたと思いますか。本でも触れられていた、新政権の見通しなどをお聞かせください。

 

小泉自民、民主党、そして今回。この10年で3度目の地滑り的勝利となった12月の総選挙への間接的な影響があったとすれば、以下のどちらかの見方になるでしょう。

一点目は、日本人は大半の責めを民主党にかぶせ、今回の危機の当事者であった東京電力及び自民党の電力系議員達をある程度免罪するという選択をしたことです。

菅元首相と、多少ましとされた野田元首相は、常にメディアから悪者扱いされ、不適格の烙印を押されていました。一方で東電と「原子力ムラ」もメディアから強欲で無責任だと責められました。前者への批判は無節操ではあるものの痛烈な一撃となり、後者のほうはそうなっていません。

もう一点としては、戦後最低となった投票率が語るように、有権者はうんざりし無関心になったとも言えます。一般層に原発への支持はあまりないにも関わらず、反原発の立場であった、嘉田由紀子の日本未来の党への支持がほとんどなかったのがその例です。1千万の有権者が棄権しており、もし彼らが以前のレベルで投票に行き、一般層の感覚で原発問題を考慮し行動していれば、原発推進の自民党は厳しい戦いになったでしょう。

  

― 3.11は日米関係に何らかの変化を与えましたか?

 

「オペレーション・トモダチ」は敬意を持って迎えられ、同盟関係は今までにない絆となりました。しかし、2万人の米兵が思いやりと友好により動員されたことよりも、日米関係は目先の政治状況と長期課題への対処が形作っていくものです。基地問題は根が深く、例えば、2012年の北朝鮮によるミサイル打ち上げによって日本の防衛政策が信頼性に欠けることを日の目にさらしてしまった状況でも、緊急連絡メカニズムの相互実施には及び腰になっています。そんな中では「オペレーション・トモダチ」も状況を改善できないでしょう。

このアメリカの反応は、計算に基づいた「災害外交」であるというつもりはありませんし、良いことですが、「東北の配当」は外交関係の中で評価されるものではないのです。

「アメリカは、『親切心の銀行から撤退しない』という道に踏み込んでいるんだ」と、ある関係者が言っていたのですが、それは確かにそうあるべきなのでしょう。しかしその一方、同盟の推進には、オペレーション・トモダチの寄与分よりも、不確かで政治的に膠着してしまっている米軍再編問題や通商問題が重荷となり続けていることは変わりません。

 

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