語学学校にて

スペイン語が全く喋れない状態でメキシコに来たので、語学学校に通っている。


メキシコは興味深いが、ビザも永住者になってしまうと、好きとか嫌いとかの次元を超えて付き合って行かざるを得ないので、まあ大抵のことはそんなもんかと思いながら暮らしている。

一方で学校は中国、韓国、日本人が半分以上という感じでもあり、何というか、モラルとか照れ方がよく似ていて、語学学校で親しくなりやすいのもこの人達になる。彼らを見ていると、生きるのが面倒くさいこの三カ国の実質的な近さを感じざるを得ない。

 


何か大学のプログラムがあるのかよく分からないが、韓国人は蔚山の人によく会う。現代自動車のお膝元の街で、父はHyundaiのエンジニアです、という女子がいて、おっとりしたタイプ。生活も余裕がある感じが漂うが、宿題とかテストには敏感に反応して、韓国の教育風土を感じる。

ソウルから来たもう一人は旅行好きで、はっきりと意見を言うタイプ。大病院で働いていたが、「患者も医者も組織も、全てがクソな環境だった」と言っていた。病院の権威とか、板挟みのようなものが想像しやすく、日本にもよく似ているのだろう。ネットスラングの「ヘル朝鮮」だね、と言ったら笑っていた。現代美術好きで、韓国社会の女性に対する扱いにも批判的だ。

 

中国人と3人で香港のデモの話題になったときは、「韓国はデモを通じて独裁政権を変えたので、私はデモに賛成する」と言っていて、なるほど、そういう認識なんだなあと、全てのデモがネガティブになる日本にいた身からすると興味深い。

韓国社会を傍目から見ているだけでも分断を感じるが、このクラスメイトの二人だけでも鮮やかな対比があり、それはどことなく社会に重なる。

 

中国人は、比較的広東から来ている人が多い。日本人、韓国人と異なり、親の都合でメキシコに来たので学校に通っているという人も見かける。

中国は何でもすぐに昔話になってしまう感じで、2000年の前半に少し中国の会社にいたころの印象と比べると、人は2世代くらい違うなあという感じがする。当時は未だWTOの加盟前で、話してみると、意外に将来に対しても楽観視していなかった。

しかし今や中国が経済力でも強大だということは自他共に認められる世代になり、外国人が言う「中国凄い」はもう聞き飽きたという感じだ。

 

華為の端末にはちゃんと「学習強国」が入っていて、ほう、という感じだが、「南米で中国とのビジネスをしたい」と自立志向だったり、「中華料理じゃない、四川料理だ!」と、あまり外国人にはピンとこない国内の違いを力説するところなどは、相変わらず憎めないところだ。

というかまあ一人を中国人代表のように話すのは明らかに無理があるが、妻曰く、彼はあなたの若いころみたいな感じなんじゃないの、と言われて、さらに親近感は強まるのだ。

あと北京外大の学生とかもいて、毎回中国の有名大学生は大したもんだなあという感じを受ける。総じて謙虚で物腰も柔らかいが、ものすごい競争を勝ち抜いてきたことはすぐに分かる感じで、こういう人材がゴロゴロいるのが中国だなあと思う。

アメリカの有名大学を出た人に謙虚で物腰が柔らかい人という印象を持つことは少ないが、中国はちょっと違う。

 

そして日本人は結構な勢力で、海外離れとか言われながら、まだちゃんと留学するんだなあと最初に思ったのだが、結構な数の人がとある基金から奨学金をもらって来ている人たちだと後で知った。
会社員で、先輩も含めて代々この制度を使って来ているという人にも会ったが、それは・・悪くない会社だなあと思う。というか社会人でも使えるのか。(追記:と思っていたら、国家公務員の人たちらしい。「会社は・・」と話すので、そのままここに書いていた。少し親しくなってから後で聞くと、公務員だというと色々突っかかってくる人がいるので・・・とのこと。出身省庁も異なるのに、その対応はきちんと統一されているのが日本らしい感じだ)

上智とか東京外大とか、語学では間違いない大学生もちらほら見かけるが、きちんと必要なことは抑えていて、まあ優秀そうだ。そして、就職では「ワークライフバランス」とかを意識してますねとか、こう先進国型の学生という感じも受ける。

それでも、「意識高い系」が多いですよ、と肩をすくめている人もいたので、まあそんなもんなのかも知れない。

 


ということで、復習もせずにこんな文を書いている私のスペイン語レベルは絶望的なくらい上達しないが、学校が人間観察には比較的適した場所なのはよく分かった。

結局興味はアジアになるのか、というのもここにいると不思議な感覚なのだけど、来週ちょっとまた中国とシンガポールへ行ってきます。