父親を超えられない社会

データえっせい: 父親を超えられない社会
http://tmaita77.blogspot.jp/2015/10/blog-post_8.html

この筆者とほぼ同世代なので、全く同じことをつらつらと考えていたのだが、こうやって数値に出てしまうのはなかなか興味深いと思う。

私は祖父、父親もサラリーマンなのだけども、時々彼らの人生がどういうものだったのか考える。私自身が中年になった今、概ね先が見えてきたこともあり、比較もかなり容易になりつつある。

 

まず祖父の時代のサラリーマンというのは基本的にかなり上の階層だ。戦前は日本の半分くらいが農業だったのだから、乱暴に二つに分けたら資本家層の方に属するのだろう。

祖父は役人の肩書きをもらったりして徴兵を忌避したり、愛人に子供を産ませたりと、まあ大阪もそんなに悪くなかった時代を生きられた人だった。今でいうと会社役員クラスのようなイメージになる気がする。人口比で上から1割程度のところに入っているわけで、今の私からすると全く手が届かないレベルだ。

 

そして、父親団塊の世代の典型例だ。

役所には入れず、大阪の中小企業のサラリーマンとしては中の下くらいのところだったと思うが、自分の人生と比較して大きいのは、バブル時代の果実を一定のレベルで味わえたことと、不動産で損をしなくて済んだという二点に尽きると思う。

父親が定年退職した年に私は会社をリストラとなり、同じ年に二人して退職金をもらうハメとなった。そんな20代の終わり頃、私の月給はお飾りに部長にしてもらった父親の月給を超えていたのだが、彼のバブル時代と概ね同年代となった今、当時の年収には全く届かない。ここがバブルの凄さだと思う。

 

平均的なところでいうと、働き方や能力という面では、明らかに現代の方が高度で且つよく働いていると思われる。何より速度が上がっている中で働かざるをえない。ボラティリティも高いので、仕事を失うこともある。

昭和の時代、フジ三太郎という4コマ漫画が朝日新聞に連載されていたが、一時期J-CASTニュースに復刻して掲載されていた。これが当時のサラリーマン気質を最もよく表していると思うが、今見ると現代の職場とこれほど違うのかという気がして興味深い。まあ平均的なレベルでは気楽にやれていたのだ。

そして、大阪の郊外に狭い家を買ってなんとか損せずに済んだようだが、正直今の時代に家を買ったらきっちりと価値が下がっていくので、数十年後の時点で金銭的なメリットが得られるなんてことは考えられないだろう。

 

夏休み、メキシコから嫁の両親と親戚が来たので、AirBnBで湾岸のタワマンを1-2週間ほど借りてみた。住人を観察しながら思ったのは、この人たちはまあ資産家ではなく雇われ人で、一昔前は世田谷くらいに頑張って建売を買ったような位の層なんじゃないか、そして彼らは団塊の世代とほぼ同じことを繰り返してなんとかなると思っているのではないか、という感覚だった。

タワマンに住む人はお金持ちではない?
http://kanemochi.kyokasho.biz/archives/2160

局地的にここだけが昭和というかバブルというか、買っても損しないだろうという集団催眠のような状態になっていたので、実際湾岸のタワマンの中で住み替えて得をしているような人もちらほらと見かける。


が、今から頑張ってマネをしても遅すぎる。基本的に不動産は将来の収益価値ベースの値段に収斂していくし、私のような一般人までおこぼれに預かれるような可能性はほぼないと言っていいと思う。

そんなことから、今回のデータえっせいの回答のように私も「父親を超えられない」と答えるだろう。残念ながら、超えていない。そして祖父も超えられない。


3代続いてシュリンクしているのは哀しいところだ。