Taiwan, A decade

f:id:otsuka39:20040425130308j:plain

f:id:otsuka39:20140319222109j:plain

台湾、電脳街として名高い光華商場近くのPCストリート。
パスポートが正しければ上の写真は2004年4月で、下がこの週末の光景だ。

あまり変わっていないなあと思うが、上の1枚を撮影したのはV801SAという端末で、当時ほとんど買う人がいなかったVodafoneの3G端末だ。国際ローミングができて、日本語のキャリアメールができた初めての端末になる。そして、下はNexus5での撮影。

 

思い出したがこの時に台湾に行った理由は、三洋製のPHSGSMデュアル端末が発表されたから買いに行く、という目的だった。今考えても呆れる。

ちなみに私がケータイに興味を持ったのは、Vodafoneが3Gを始めたことで、WCDMA+GSMの端末が出たということだったと思う。V−N701というのが最初の端末で、次に日本語が表示できないNokia6650を10万ほど出してSIMフリーで買ったのだった。

これらの端末はSMSのみ対応で、いわゆるケータイメールが出来ない仕様だったが、1年ほど経ってV801SAでやっとメールが利用できるようになる。

 

国際ローミング自体が日本人には目新しく、自身のSIMを差し替えGSMを掴むのを見て大変興奮した。各国のケータイ売り場は日本と全く異なるデザインの端末が並び、まさに異国だったことを思い出す。

そして10年後、ほとんど同じような端末が同じように売られるようになって、当たり前のように旅行者向けの無料Wifiスマホ使って、もうプリペイドSIMを頑張って買わなくてもいいか・・なんて感じであまり興奮しない、大変便利な環境を享受するのだ。

 

そして鉄道も一気にモダンになっていた。

JR九州のかもめあたりを彷彿させるシュッとした特急が走るようになったが、これも日本メーカーのもののようだ。10年前はステンレスの鈍重な感じの車輛だった。香港なんかと同じで、80年代ごろは南アフリカとかイギリス系の車輛メーカー、90年代はDaewooあたりの韓国系を経て、最近は日本メーカーが目立つ感じだ。

こんなサイトを見ると、台湾もなかなかマニアックだなあと思う。

 

10年前は中正空港で帰りの飛行機を待ちながら、空港の雰囲気もずいぶんとアジアの田舎都市という印象を受けたのだが、今回の松山空港でもなんとかそれなりにモダンになったなという感じだ。もちろん香港や仁川、北京といった大規模な空港からは相変わらず遠いのだが。

今も昔も台湾人は外に出て行く人達で、中国本土には100万人の台湾人が駐在していると言われるし、多国籍企業でも台湾の人に会うことは多い。覇気があるようなタイプはもうほとんど外に出て行ってしまったのだろうかと疑ってしまうくらい台湾の人達はおっとりしている印象で、これは前と変わらない感じだった。

地震後に目立つ日本の分断状況:リチャード・サミュエルズ インタビュー

f:id:otsuka39:20130306232659j:plain

2年前の今月、東日本大震災と津波が日本を襲った。東北を中心に大損害と15,000人以上の死者を出し、そしてその数日後、様々な救援活動が行われる真っただ中で、福島第一原発の原子炉はメルトダウンした。

津波とその余波は忘れることはできないものの、2年を迎えて被災地の復興は本格化している。しかし、復興が進むに連れて、いくつかの本質的な疑問が浮かんでくる。「今回の惨劇から日本は何を学んだのか?」「救援はどれだけ効果的に行えたのか?」「一体今回の問題は誰のせいだったのか?」

答えはまだはっきりとしない。しかし地震後初の国政選挙で有権者は政権交代を選び、安倍首相と自民党が政権に返り咲いた。

 MIT教授で日本研究者のリチャード・サムエルズによる本「3.11: Disaster and Change in Japan」は、今回の地震が日本にもたらした政治的・社会的影響とそのインパクトについて考察している。

今回の本及びこの2年間で見た日本の変化と連続性について、Asia Blogによる著者インタビューをお送りする。

  

― 3.11の地震と津波が日本人の生活と政治にもたらした、明確なインパクトは何でしょうか?

 

三陸の沿岸で今回の悲劇を体験したような人、特に家や家族を失ったりした人にとっては、変わらなかったことなど何ひとつないでしょう。

しかし、一般的な日本社会と政治への明確な影響に関しては議論が分かれています。両面の考え方があり、3.11がコミュニティの再活性化と政治プロセスの透明化をもたらしたと楽天的に評価する人がいれば、もう片方には、これだけの被害にもかかわらず、この国の根幹は揺さぶられてはいないと悲観的に考える人もいます。

どちらも正しいとは言えますが、私個人としては、「3.11は社会の変革をもたらす」とか、「日本の新たな歴史の章が始まる」といった多くの壮大な未来予測に興味をひかれました。

3.11に関しての議論では、様々な強い主張が大量に溢れ、日本の政治や社会は沸騰し、コミュニティや社会の絆に関する重要性が繰り返し語られました。しかし、政治が「生まれ変わる」ことはなかったし、生活が「リセット」されることもなかったのです。

  

― あなたは本の中で、日本のリーダー達は3.11に対して 1) 変化を加速させる、2) 現状維持、3) 逆コース という対処方針を主張し、2)のグループが勝ったと結論づけています。どうしてこのように考えたのでしょう。また、海外で今回の地震ががこれほど変革をもたらすと考えられたのはなぜでしょうか。

 

それぞれの政治家は今回の災害に関しても首尾一貫した主張をしていましたが、その主張は常に彼らが「真実」であると考えていることと一致していました。

地震の前から公共企業が悪だと考えていた政治家は、地震がそれを証明したと主張しましたし、以前から民主党が無能な成り上がり集団だと思っていた政治家は、今回の地震で新たなその証拠が見つかったと言い、自衛隊と日米同盟の支持者は戦後の防衛体制の整備に関する重要性を改めて主張する、というような具合です。日本と世界は、地震で「proof of concept(概念を実証する機会)」を得たのです。

 観察してきたことを少々誇張して言うと、政治家たちは今回の「地震」も自分の新しい武器として取り込み、競争を繰り広げていました。戦争論のクラウゼヴィッツ風に言えば、3.11は通常の政治への追加的な延長手段でしかない、ということです。

以前の状態こそが既成の政治がもたらした結果であり、本の中でも述べたことですが、様々な動き(自治体やボランティアの素晴らしい活動も含め)やいくつかの政治的変化にも関わらず、日本は現状維持の空気に覆われています。

日本にいきなり元気が溢れかえるようにはならないでしょうし、地方分権が進むこともないでしょうし、原子力を放棄することもなく、新しい方向へ急激に進むということはないのです。

 

― この本のリサーチのために1年日本に滞在し、大きな変化を見つけたと思っていますか。

 

ひとつ正直に話をしましょう。今回のプロジェクトの当初、私は今回の地震によって、日本に待ち望まれていた政治や政策の転換がより行われやすくなるのではないかと想像していました。

2011年5月に来日した私は、今回の仕事に「国家の再生?」というテーマを想定していましたが、今では少なくとも最後に「?」は付けていたんだと自分を慰めるしかありません。滞在3ヶ月で、政策を主張する人々が地震からそれぞれに異なる教訓を引き出し、縦横に説を展開していたのを目にして、当初のテーマは「危機のレトリック」に変更せざるを得ませんでした。

政治に関わる人々の大半が、今回の悲劇を目前にしても、自身のスタンスを変えようとしないことに強い印象を持ちました。いくつかのレアケース(原発推進から反対へ舵を切った菅元首相が有名です)を除き、3.11以前の政治家達の立脚点を理解していれば、その後の主張の立脚点も自明となっており、この地震に関してもそれぞれが主張する問題点とその解決策に関する論の組み立ては容易に想定できたのです。

 

― 「日本復活」と経済改革のメッセージと共に、安倍新総理が先日米国を訪問しました。今回の地震は、日本にどのような政治的変化を起こしたと思いますか。本でも触れられていた、新政権の見通しなどをお聞かせください。

 

小泉自民、民主党、そして今回。この10年で3度目の地滑り的勝利となった12月の総選挙への間接的な影響があったとすれば、以下のどちらかの見方になるでしょう。

一点目は、日本人は大半の責めを民主党にかぶせ、今回の危機の当事者であった東京電力及び自民党の電力系議員達をある程度免罪するという選択をしたことです。

菅元首相と、多少ましとされた野田元首相は、常にメディアから悪者扱いされ、不適格の烙印を押されていました。一方で東電と「原子力ムラ」もメディアから強欲で無責任だと責められました。前者への批判は無節操ではあるものの痛烈な一撃となり、後者のほうはそうなっていません。

もう一点としては、戦後最低となった投票率が語るように、有権者はうんざりし無関心になったとも言えます。一般層に原発への支持はあまりないにも関わらず、反原発の立場であった、嘉田由紀子の日本未来の党への支持がほとんどなかったのがその例です。1千万の有権者が棄権しており、もし彼らが以前のレベルで投票に行き、一般層の感覚で原発問題を考慮し行動していれば、原発推進の自民党は厳しい戦いになったでしょう。

  

― 3.11は日米関係に何らかの変化を与えましたか?

 

「オペレーション・トモダチ」は敬意を持って迎えられ、同盟関係は今までにない絆となりました。しかし、2万人の米兵が思いやりと友好により動員されたことよりも、日米関係は目先の政治状況と長期課題への対処が形作っていくものです。基地問題は根が深く、例えば、2012年の北朝鮮によるミサイル打ち上げによって日本の防衛政策が信頼性に欠けることを日の目にさらしてしまった状況でも、緊急連絡メカニズムの相互実施には及び腰になっています。そんな中では「オペレーション・トモダチ」も状況を改善できないでしょう。

このアメリカの反応は、計算に基づいた「災害外交」であるというつもりはありませんし、良いことですが、「東北の配当」は外交関係の中で評価されるものではないのです。

「アメリカは、『親切心の銀行から撤退しない』という道に踏み込んでいるんだ」と、ある関係者が言っていたのですが、それは確かにそうあるべきなのでしょう。しかしその一方、同盟の推進には、オペレーション・トモダチの寄与分よりも、不確かで政治的に膠着してしまっている米軍再編問題や通商問題が重荷となり続けていることは変わりません。

 

原文はこちら

かき料理、築地・銀座・有楽町界隈

■市場

 

磯野屋 - かきめし、カキフライ

場内の浜離宮寄りの通りの2階。カキの炊き込み御飯を11月くらいから始める。サイズは大と中があるが、中とおかず一品という感じがいい。良く味のしみたかきがたっぷりで、ご飯の中にもカキが埋まっている。これを食べずして冬は来ない。フライはまあまあ。

 

豊ちゃん - カキフライ

場内の水神さまの方の通り。カキフライライスはカラッと見事な揚がり具合だが、ソースで食べるのが少し物足りないところも。生かきとカキフライのハーフ&ハーフというのがあるらしいがメニューには書いていない。カツ丼で有名な店だが、個人的には銀座「とんき」が一番だ。

 

やじ満 - かきラーメン

場内の中華料理屋。海鮮系のだしが効いた塩ラーメンにかきが入る。青ニラ、野菜に麺となかなかのボリュームで悪くない。シューマイと一緒にどうぞ。

 

かとう - かき豆腐

薄味のすましで昆布味がよく出ているかき豆腐。冬はこういうものがしみじみと美味しい。カキは油をよく吸ってしまうので、ヘルシーにこういう食べ方もよい。ただし、ちょっとお値段も張るような気がする。

 

たけだ - かきバター焼

まだ食べたことがないので、来週にでも行ってみようかなあ。

 

 

■銀座、築地、有楽町

 

レバンテ - カキフライ

三重の的矢がきを東京で出す、戦前から有楽町にある洋食屋。今は東京国際フォーラムの2Fにあり、ガラス張りのモダンなレストランとなった。一昔前は文士がここで季節にかきを食べていたらしい。的矢またはそうではない三重のものか選べる

 

銀座三州屋 - カキフライ

銀座の2-3丁目辺り、ビルの谷間にふっとあるような店構え。繁華街にあってサラリーマン文化を守り続けるといった感じだが、ここのカキフライは一つの完成系で、忘れ得ぬ味という感じだ

 

魚河岸三代目 - オイスターバー

築地ボンマルシェの地下にあるオイスターバー。

 

蘭苑菜館 - 牡蠣四川炒め(宮保鮮蠔)

三原橋の地下街から新橋方面へ進む。銀座のはずれの変哲もない中華という感じだが、カキメニューは四川炒め、醤油炒め、チリソース炒めとなかなかバラエティに富む。冬のピリ辛味のとろみをつけたカキは体が暖まって素晴らしく、満足感も高い

 

TSUKIJI TOMINA - 牡蠣のパスタ

イタリアン。場内と、晴海通りを一本中に入ったところにも店がある。パスタはわりに古典的な味付け。

 

かつ銀 - カキフライ

銀座というか新富町というか。少々お値段は張るがたっぷりサイズのボリューム、ザクッとしたパン粉、タルタルソースも自家製といった感じで、市場系のカキフライよりも満足感は高い。

 

たけの食堂 - カキフライ

晴海通りの勝どき寄り、寿司大の横の細い路地の中ほど。複数個の小ぶりのかきをまとめて一つのフライにする方式で、見た目は不格好だが美味い。諸々魚料理があり、常連になれば幸せなのだろうが、他の客が常連すぎるのでちょっと落ち着かない

 

 

■チェーン系

 

てんや - かきの天丼

天ぷらもいいところを探せばあるのだろうけども、てんやは安定のクオリティで夜も比較的遅い。ホームページのクーポン券をプリントして持っていけば100円引きというのをいつもやっていて、冬のコートのポケットに割引券がいつも入っている気がする

 

CoCo壱番屋 - カキフライカレー

これも毎年毎年食っている気がする。正月にカキフライカレーを食べて、無料のカレンダーをもらうという私にとっての恒例行事と切り離せない。

Surfaceとの一週間

Surfaceが届いたので、ちょっといじっている。

 

基本的にスマホで用事が済めばそれが一番だとは思っているのだが、どうしてもPCがあったほうがよい時がある。

先日ジャカルタへ行った時もそうだったが、用途としてはちょっとした文章作成と、カメラの画像を取り込んで縮小して、クラウドなりメールなりで送るというようなタスクだ。スマホにキーボードをつけて使うのでもいいのだが、iOS/Android系のOSは出自としてファイルという概念をできるだけ隠そうとするので、複数のファイルを添付して送るなどということが結構面倒くさい。

Surfaceの発売イベントでは、ハーバードの大学生に写真を撮らせてBlogを書かせるという一連の流れを試させたらしいのだが、これは正しいマーケティングだ。そういう時にこの端末はかなりうまく機能するのでは、という期待があったからだ。


■Surface以前

タブレットにキーボードというのは以前から興味があって、BluetouthのキーボードとかASUSのTF101などを折に触れて試してきた。

AndroidはUSBキーボードが普通につながるようになったり、複数の文字配列を設定できたりとかなり進化は著しいが、バーチャルキーボードが表示されているままでキーボードから入力するなど少し間が抜けている感じは否めない。また日本語変換がインラインではなく、候補確定のような基本操作がキーボードとタッチ併用のような形になり、入力がいまいち最適化されていないなと感じる時もある。

iOSはATOKがかなりいい線まで行っているようだが、やはりメディアビューワーであり、そのエレガントさをより完成させる方向へ向かっているので、入力の周辺機器とかスマートさに欠ける世界とはどうも親和性が低い。まあAppleにまともな日本語環境を最初から期待することも難しいだろう。

 

根本的には自分のニーズだとノートPC、まあMacBookAirあたりを買うのが明らかに正解だと思うのだが、アダプタを入れたりすると、まだ荷物としては重いなと感じるし、まあもうWindowsなんて5万円台の時代だ。MacBookAir 11インチは解像度が高すぎて買って2週間で返品したし、13インチだと10万円を超える。そもそもそれほど使わないのにオーバースペックになってしまう。

実際ノートPCは4-5年前に買ったものを延々と使ってきたので、Chromeしか入っていないようなクラウドマシン化していた。ではChromeBookを買えばいい?うーん、これはこれで輸入してまで買うものではないんだよなあ。安いPCにUSBブートでも使えるし。


■そしてSurface

という長い前置きがあって、Surfaceに繋がるのだ。どこまで一般的かはよくわからないが、そんな環境のなかで評価しようとすると、以下のような項目になる。

  • Tablet/Padとしてよくできているかどうか
  • キーボードの入力がどのくらい快適か。シートのようなアレはどうなのか
  • 日本語入力、切り替えなどがどこまでPCに迫っているか
  • 重さ、周辺機器の対応状況、必要な環境構築がどこまで可能か
  • Windows8はどうか


■ファーストインプレッション

タブレットとしてはやはりiPadのほうが間違いなくよく出来ていると思う。そんなことは誰でもわかっているだろう。

当初のいらだちで大きいのは、これをノートPCスタイルで使うか、タッチのパッドスタイルで使うかで迷い、何度も切り替えてしまうことだ。これは微妙なところだが、ある程度慣れてくるとどちらが楽かを認識できるようになる。

Touchキーボードも、もちろん違和感がある。当初タイプ感覚が慣れず、力の入れ方がよくわからないので、指に負担が来る。とはいえ他のスマホ・パッドで利用するようなキーボードとの組み合わせを考えると、ないよりも付いているほうが明らかに良いし、結局キーボードを使っている時間は長くなってくる。ある程度慣れればこれでいいんじゃないかと思えてくるし、膝の上に載せて今これを打っているが、それほどミスタイプも出ない。

無駄に音がよかったり、まあハードウェアとしての完成度は高い感じだ。カバーを裏返したらキーは反応しなかったり、気が利いているなというところも一応ある。


■Windows 8であること

日本語入力は概ね良くできている。やはりWindowsの厚みは伊達ではない。全てインラインでの入力が可能だし、winキー+スペースでMacのように英語と日本語の切り替えができるようになった。まったくメニューバーがなくなってしまったので、現在どの入力モードにいるのかがわからないが(そのかわりカーソルの右横に時折Aとかあと表示される)それ以外は違和感がほぼない。

ということで、Apple製品のように当初から違和感なく使えるというものではないが、慣れてくるとなかなか便利、というのが感想だ。これはWindows 8の話だが、新しいショートカットが山のようにあり、これを使いこなせればキーボードで実はそれなりにこなせる。

Windowsとして便利なのは設定のカスタマイズが以前からのノウハウでできることだ。例えばWebDAVを個人的に愛用しているが、Windowsのデフォルト環境ではSSLのものしか接続できない。この変更はレジストリでできるが、今まで同様にこの変更が可能で、問題なくDAVへ接続できるようになった。

あとはUSBメモリの認識とか、そういう辺りのことは普通にこなせる。


■Windows RT

RTというのは、今までのソフトはすべて動かないということだ。Chromeもないし、Windows Phone7.5もZuneソフトウェアがないので認識されない。

ソフトがないのは確かに問題で、リモートアクセスに会社ではRSAのSecurIDを使っているのだが、このドライバーはWindowsRTのものなんて当然出ていない。実はiOSにはこのプロトコルがデフォルトで組み込まれていてさすが王者の貫録だが、いずれは対応されるのだろう。この辺りは指をくわえて待つしかないようだ。

動画再生など概ね問題ないが、mkvファイルなどは再生ソフトがない。今この文をNotepad Classicsというアプリで書いているのだが、OSとOfficeなどプリインストール環境の軽快さに比べ、Storeにあるソフトはちょっと使うとやたら重くなったり、完成度の低さが目立つ。


■総評

なんというか、中途半端にいいとこどりをしようとしている端末なのは間違いない。当初メトロアプリとデスクトップという概念が両方あると聞いて頭がおかしいのかと思ったのだが、実際に使ってみると、自分のニーズもそのように分裂しているのだということが理解できてくる。

そんなものなのだから、それとして割り切って使えばそれなりに便利になるだろう。Officeもちゃんと使えて、デスクトップとファイルの概念がある世界へ時々戻りたくなるし、タブレットでスマートにこなしたいときもあるのだから。

買いか買いではないかと聞かれたら、間違いなく買いじゃないだろう。しかし今更iPadを買ってもなと思う人や、Jailbreakやroot化やSideload化をせざるを得ないようなタイプの人は、それなりに面白いのではと思う。


■おまけ

HDMIで出力できるケーブルを同時に買ったのだけど、なぜか全く届かない。UPSでトラッキングができるようになっているのだが、10/24からステータスが全く動かず、本体到着からもう2週間ほど経つ。カリフォルニアからオレゴンなので、東海岸の洪水あたりも関係ないと思うのだが。

仕方なくサポートに電話するが、なんだかアメリカはこういうところで電話の窓口しかないのは何故なんだろうね。日本だと逆にメールだけのサポートというケースも多い気がするのだけど。GMailの電話でアメリカのフリーダイアルは無料。すごい時代だ。

あと、外部出力のポートはHD Video out Portと書いてあるのだが、実はただのMicroHDMIのようだ。アキバの互換品でVGAに問題なく出力できた。

遠くまで

35歳になった。

会社への道すがら、ずいぶんと遠くまで来たものだなあと思いながら、今までにそんな気分になった3つの場所のことを思い出す。

西船橋駅、カサブランカアスンシオン

西船橋は、小学生の頃初めて自分一人で電車に乗って出かけた先だった。当時住んでいた京成線で船橋まで行って、国鉄に乗りかえて東京駅に向かうつもりだったのだけど、西船橋の駅の跨線橋から貨物の留置線を見たとたん、駅の大きさに恐怖を感じてそれ以上行けなくなってしまったのだった。

カサブランカは20代の時だ。一人でほぼ最初の海外旅。スペインからモロッコに渡って、深夜に列車でカサブランカ駅に着いた。これは今になっても本当によく思い出すのだけれど、どこか道沿いに宿でもあるだろうと思って路線バスに乗ったら、ひどく揺れるバスは街を猛スピードで走り出し、客はどんどんいなくなり、最後に自分だけが降りるタイミングを失っていった。オレンジ色の薄暗い街。「旧市街」と何度言っても通じず、どこに連れて行かれるのか分からないままバスは夜の闇を疾走するのだった。

最後のアスンシオンはウルグアイの首都だ。2年ほど前だったか、アルゼンチンのブエノスアイレスから船とバスを乗り継いでこの街に着いた。休日だからか、首都なのに街は人もまばら。どっしりした建物、海に向かって下る坂と夕日を見ながら歩いていると不思議に感傷的な気分になる。日本からみてちょうど地球の裏側に位置するこの場所に対して、しみじみと遠くまで来たなあと思ったのだった。

それぞれが十代、二十代、三十代の時の話なのだが、十代はまだまだ先があることが分かっているのに遠さを感じた。二十代ではなんだかよく分からず疾走していた。そして三十代は確かに遠い、でもどこか余裕があって感傷に浸るような、その一方でどこか覚めているような気分なわけだ。

まあ本当に遠くまで来た。でも、この先の遠さがどんなものか少し楽しみだ。

沖縄

沖縄へ行ってきた。

  • 寒いのはいやだ
  • 12/8から就航のスカイマークの那覇行き成田シャトルに乗りたい
  • 外人住宅と呼ばれる家に一度泊まってみよう
  • ジミーのアップルパイとか、アメリカンなステーキあたりが食べたい
  • 沖縄っぽい街並が見られるところに行きたい
  • 沖縄にはヒュンダイを貸すレンタカー屋があるらしい
  • アメリカと向き合った街あたりをちょっと見てみたい

と大体こんなところが理由か。

東京を発つころには自分もバッチリ風邪を引いていたが、着いた沖縄はどんよりしていて1月並みの気温に。レンタカー屋のお姉さんも風邪を引いていた。気温19度でも風邪をひく沖縄人は素敵だ。

 

とりあえず2泊で、1泊は外人住宅、もう1泊はどこかの島に行こうと考える。最初はゲストハウス、島に行ったらメシ付きがいいので民宿を予約することにした。海外の一人旅でもそうだが初めは寂しくなったりするものなので、初日は話し相手に事欠かないゲストハウスとか日本人宿に泊まると気が落ち着いて良い。一人旅ばっかりでこういうスキルだけが上がってきた気がするが、旅行に行かないよりはマシだろう。

初日は話し込むものの一人も好きというややこしい性格のため、結局こういう宿からは割にすぐ出てしまうのだが、どうあれ安宿のインフラは実にありがたい。沖縄は第三次のゲストハウスブームなんだそうだ。

外人住宅やら古民家を改造したお店やらが沖縄で流行っているが、いくつか宿にもなっている。今回泊まったゲストハウスもそうだが、築50年くらいと古いものの、バストイレは2部屋あったりするなど、ゆったりした間取りなのが特徴。基地内の住宅建築に携わった業者がそのノウハウで作っていったとか。洋風のバスタブをタイルで作っていたりとか、なかなか興味深かった。

 

色々と沖縄の建築史も面白い。沖縄の建築ブームは返還後の海洋博のころなのだけど、二泊目に泊まった伊是名島の民宿は、最初は海洋博の作業員用の施設を買って部屋に転用して始めたんだそうだ。

伊是名島。癒しとかリゾートは罰ゲームにしか見えず、有名な小浜島とか竹富島の話を聞いてもちっとも行きたくならないというところが沖縄を敬遠していた理由だったことから、この島はそういう意味での妥協点にはなるなあと、後で思った。琉球家屋は国の重文のものがあるし、みんなビーチに遊びにくるので民宿は山のようにあるが、シーズンオフは静かな島だ。そして、島の経済構造として土建業比率が高く、観光客はまあその次だな、という感もある。

 

 

あと沖縄の魅力は、月並みですが色々な文化の受容のしかたなんだろうなあと。

食文化と流通、まあファストフードとかスーパーなんかにもかなり独自性がある沖縄だが、米軍の是非を超えてアメリカを受容していることは間違いない。とはいえそれが一時代のものとして少しずつ風化したり空洞化している部分もあり、それがまた何ともいえない。

 それぞれ金武の新開地はキャンプハンセン、コザは嘉手納基地の前の街として発展したようだが、アーケードやメインストリートの寂れ方は見事で、人通りもまばらだった。個人的にはこういう何かを偲ばせる味がある街が好きだし、ネットで検索したら「日本DEEP案内」が沢山ヒットするなどして好事家には愛されているようだが、それは喜ばしいというものでもないだろう。

 

 そもそも米軍として駐留している人数も、思いやり予算の関係で水増しの人数になっているものの、実質かなりがグアムあたりに移転しているという話も聞く。

国道58号線沿いにはアメリカ家具の中古を扱う店が多いが、古ぼけた看板に「芝刈り機、バーベキュー台・・」などと書かれており、ああ、これが憧れたアメリカ文化だったんだなあとしみじみ思ったが、今時芝刈り機もバーベキュー台もドン・キホーテで安く買えるものに成り果ててしまった。

イオンモールは賑わっていて国際色豊かな人々という感じだったし、Jimmy'sの店内は幸せを撒き散らしていたし、A&Wはドライブインとして主張していたが、それはどこか残酷な日常と変わらない。まあゲストハウスの隣に住む米軍の家族も、今や好きな日本食は「CoCo壱番屋」だそうだから、どちらもそんなもんなんだろうけども。

 

そしてレンタカー。Vitzやフィットを借りるくらいなら、ヒュンダイi30の方がかなりマシだと改めて思った。そもそもレンタカーにも向いてる車だが、本気で導入したのは沖縄の会社くらいというのは、どことなく日本的思考を超えた合理性を勝手に感じたのだが、これホントにどういう理由なんだろうか。

飛行機もスカイマークで、空港の乗り降り4回中3回が沖止めという相変わらずの仕打ちだが、行き帰りそれぞれ1万円以下なので文句も全くない。成田発は空いていた上にピカピカの新造機で、蛍光灯が全部LEDという最新式。LCCもどう考えても合理的な選択なのだが、戻った日の成田発那覇最終便はまた欠航だったようだ。成田シャトルは欠航すると振替が一切ないので、これだけは大変になってしまう。

 

今回はサム・シェパードの「モーテル・クロニクルズ」が旅の本。
写真はこちら